queer de pon
  アタック・ナンバーハーフ SATLEE-LEX(2000)

監督:ヨンユット・トンコントーン
出演:チャイチャーン・ニムプーンサワット、サハーパープ・ウィーラカーミン、ジ ェッダーポーン・ポンディー

タイの実話を基にした話題作。 オカマであるということを理由にバレーボールチームに参加させてもらえないジュンとモン。おなべのビー監督は偏見を持つことなく、 二人を県の代表選手に選ぶが、他の選手達はチームを離れてしまう。二人は友人に声をかけて、ジェンダーの垣根を越えた超個性的なチーム「サトリーレック」を結成。 タイ語で「鋼鉄の淑女」という意味のチーム名そのままに、差別 や偏見にも負けず、 国体を目指していく。 白いボールに託された汗と涙と笑いと感動がコートいっぱいに飛び交う。 そーれっ!

渋谷シネクイントにて公開中
配給:クロックワークス
オフィシャル・ホームページ http://www.klockworx.com/attack/
http://www.parco-city.co.jp/cine_quinto/attack/index.html
香港 http://www.goldenscene.com/ironladies/splash1.html

review  review  review  review  review  review  

「くるっしくったってぇ〜、かなっしくたってぇ〜、コートのなかでは平気なのぉ〜 ♪」と歌っておきながら、その舌の根も乾かぬうちに(笑)「だけど、涙がでちゃう 、女の子だもん」とジェンダーを理由に態度をコロっと変えてもなぜか許されてしま っていた往年のスポ根アニメ『アタック・ナンバーワン』(バレーボール)。これって同じくスポ根アニメの代表格『巨人の星』(野球)の「思いこんだら、試練の道を行くが男のド根性〜♪」とまさに同じコインの裏表。なんでスポーツの世界ってこういうジェンダーなこだわりが強いんだろう…と、幼い頃『いなかっぺ大将』(柔道) 派だった私は思う。

そう言えば、昨年のシドニーオリンピックの開会式での選手のユニフォームについて 、我が親友が非常に明晰にこんなことを言っていた――。
「見てたら、どの国も、だいたい女性はスカートにパンプスなのね。男女同じデザイ ンで、下だけ違うの。なんか、『え?』と不思議に感じたのは私だけ?? 今や、競技用のウェアって性別 問わず機能性&デザイン重視でしょ。陸上とか、ピチッとしてて、カッコいいよね。なのに、公式のああいう場では、男女別 の衣装って当然視されちゃうんだ。すばらしい肉体ですごい運動をする人々なのに、『事務員ですか?』みたいな格好で揃いも揃っていて違和感あるなー。あっ! そのへん、ひょっとして日本のアレ(ポンチョだかマント? あ、ケープらしいね)は、超ジェンダー・フリー!? 」

確かにスポーツはある意味でジェンダーの古典的な固定観念が強力に作用している世界。だいたい、世の中のさまざまな分野でジェンダフリーになりつつあるというのに 、スポーツはほとんどの種目が当然のように男女別に行われている。スポーツとはまさに「身体的」行為だから、男女の身体的構造における生物学的な差異が際立つのは当然であり、競技はその差異に基づいて行われるべきである…という意見がその背後には強力にあるのだろう。でも、「結局は性差よりも個人差」って心理学のゼミでセンセイが言ってたことを思うと、スポーツにおけるジェンダーって、生物学的な差異に基づく本質的なものというよりも、あくまで競技を行う上での便宜的なもの(チーム分けの一条件とか)と考えた方が建設的だと思う(と、高校時代、体育の持久走で 男子が3000m、女子が2000mで、思わず「女子でよかったよぉ〜」と喜んでしまった私が言うのもナンですが:苦笑)。

…なんてことを私がウダウダ考えるまでもなく、現実は確実に進んでいる! と知らしめてくれる映画が、冒頭で引用した『アタック・ナンバーワン』にリスペクトと愛のあるパロディ精神を捧げた邦題を持つ、その名もズバリ『アタック・ナンバーハーフ』! オカマ、ニューハーフ、ゲイ、ストレートの選手達におなべの監督と、多様なジェンダーのグラデーションを彩 るバレーボールチーム「サトリーレック」(タイ 語で「鋼鉄の淑女」)。彼らが国体へ向けてにぎやかにひたむきに白いボールを追いかける過程は、彼らがジェンダーという名の「ネット」=垣根を越えていく過程でも ある。
その過程では、差別や偏見という名の「ブロック」が彼らの前に立ちはだかることもあるけれど、彼らの存在は決して「ブロック」されるだけじゃない。あるときには「 時間差」や「フェイント」のようにひょいっと「ブロック」をかわし、またあるときには真っ正面 の「スパイク」のように鮮やかにジェンダーの垣根を越えてみせる。さ らに、映画のなかでいつのまにか多くの人達が彼らの魅力に引きつけられ、彼らを応援していたように、その姿は人々の共感や賛同もまた確実に生み出していくものであるということ。そして何よりも、この映画がタイでの「実話」を基にしたものであるということ――映画のなかで「サトリーレック」の面 々が放つ強烈なスパイクのよう に、それは本当に痛快で爽快なことだと思う。

追記:ジュンちゃんかわいすぎ!

(井上 澄)


review  review  review  review  review  review

「俺アメフトやってたんだ」「中学から水泳やってたんだ」

そんなせりふひとつで、人(ゲイ)はたやすく恋に落ちるもの。まぁ恋に落ちなくても、4割は格好よく見えるもの。でもそこで、「バレーボールやってたんだ」なんて言おうものなら「やっぱりオカマねぇ」と、相手にゃオネエ言葉で言い返されるが関の山。
なぜかオカマとバレーボールって相性がイイのよねぇ。ま、アタシには原因はわかってんのよ。

「苦しくたってー、悲しくったってー、コートの中では平気なの」

基本的にミーハーなゲイがこの歌に、この名作アニメに影響されないわけないでしょ ? と、悦に入っていたら世界中のセレブなお友達からホットラインに緊急連絡が回ってきたのよ。なんと、このオカマとバレーの相性のよさは日本だけの話じゃ無いよ うなのよ。なんでも、タイでオカマのバレーチームが国体に出る映画があるって話じゃない。しかも、その映画が日本で上映されるそうだし・・・タイでもあのアニメ、放送されてんのかしら?
ま、そんなわけで、事の真偽を確かめるために見てきたわ。

結論。
バレーはオカマがもっとも絵になるスポーツって事。オカマがボールを右へ左へ追っかけて、ジャンプして、スパイク! そんな単純な動作の一つ一つが何故か絵になるのよ。でも決してそれは、野郎っぽくとか爽やかに見えるって話じゃ全然無くて、ただ単に、オカマがよりオカマらしく、輝いて見えるってダケ。痛いわ。でもこの映画って、なぜか見ていて気持ちがイイのよねぇ。なんだか「元気になる映画」って感じかしら。しかも微妙に元気になるのよ。

監督とかには悪いけど、はっきり言ってすごく作りこまれた映画じゃ全然ないのよ。 役者も本も素晴らしいとはいえないし、核になるバレーの試合の作りこみ方も甘いし ・・・でもそんな事が些細に思えちゃうほど気持ちイイのよ。今のハリウッド的な映画が良しとされるご時世とは真っ向勝負な映画なんだけど、「元気になれるのよ」。
一応いっときますけど、それは別にノンケをけちらすオカマに共感してとか、そーいったわけじゃ無いのよ。そんな安っぽいことに感動できるほどアタシは能天気じゃないわよ。でも、理屈抜きで元気になれるときってない?まさにそんな気分になれる映画なのよ。エンディングロールではもっと元気にしてくれるオマケもあるから見逃さないでね。
そしてそして、あたしが中学時代に「やっぱりオカマねぇ」なーんてオカマどもにほざかれるスポーツに汗を流していたなんて事実は一切関係無いわよ。
多分ね。

(anesan)


review  review  review  review  review  review

(2001/4/16更新)
   
backtop