queer de pon
  ボーイズ・ドント・クライ BOYS DON'T CRY(1999)

監督:キンバリー・ピアース
出演:ヒラリー・スワンク、クロエ・セヴィニー、ピーター・サースガード

1993年アメリカ、ネブラスカ州。保守的な土地柄、カラオケぐらいしか楽しみのない どうしようもない退屈と倦怠――そんな乾ききった風景のなかに現れた一人の青年ブ ランドン・ティーナ。地元の粗野な男達にはない魅力を持った「彼」は、女性にとっ てまさに理想の恋人だった。ブランドンと恋に落ちるラナ。2人を取り巻く友人や家 族。そして、ブランドンの「性別」についての秘密。その秘密が暴かれたとき、そこにはいともたやすく「彼」への差別 と憎しみが生まれた・・・。主演のヒラリー・スワンク はアカデミー賞主演女優賞を受賞。 なお、昨年、当映画祭ではこの作品の基となった事件の当事者へのインタビューから 成るドキュメンタリー映画『ブランドン・ティーナ・ストーリー』を上映した。

*『ブランドン・ティーナ・ストーリー』の監督インタビュー
http://www.rainbowreeltokyo.com/2000/interviews/Jmuskaolaf.html  

※ビデオ好評レンタル中
ボーイズ・ドント・クライ オフィシャル・ホームページ
日本 http://www.foxjapan.com/movies/boysdontcry/
アメリカ http://www.foxsearchlight.com/boysdontcry/
イギリス http://www.boysdontcry.co.uk/

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ブランドンのようなトランスジェンダーの男性にとって、日々の生活は過酷だ(*1) 。都会ならまだしも、田舎町でのそれは想像を絶する。専門医にかかればホルモン剤の投与や手術もできるが、長い忍耐と多額の出費が強いられる。刹那的な生活に溺れても、彼を「女性」だと決めつける社会の壁はあまりに厚い。自分にとっての真実を貫けば「嘘つき」呼ばわりされ、嘘でないと主張すれば堂々巡りの罠にはまっていく 。そのあたりの描写はとてもリアルだ。何より、トランスジェンダーや性同一性障害 といったテーマを真正面から描く、数少ない映画の一つであることは間違いない。

ただ残念なことに、この映画、クライマックスに向かってリアリティが急速に萎えて いく。事件の描写に強引な脚色が見られるのも気になるが、特に違和感があるのは、 終盤、ブランドンが恋人の女性と愛を交わす場面だ。体を隠し続けていた彼が、ついに服を脱いで抱き合う。まるで、ブランドンが実はレズビアンだったと言っているかのようだ。彼が「女性であること」を受け入れられるなら、それまでの孤独な闘いは何だったのか? 「ありのままの体」が「ありのままの自分」ではないのが、性同一性障害だ。男性として生き、場合によっては体までを変えていこうとするその作業は 、本来の自分を取り戻す過程にほかならない。個人的に確認した限りでは、作家の虎井まさ衛氏を始め、この場面 に不満を感じている当事者は少なくないようだ。

このシーンは、どうも第三者の思い込みで描かれたような印象が強いが、監督のキンバリー・ピアースへのインタビュー記事を読んで、その思いを強くした。残念なことに、彼女は性同一性障害について全く理解できず、同性愛の延長として捉えているようだ(*2)。ピアースを含め多くの人が、なぜ「ブランドンは男性だ」という単純な 「事実」を受け入れられず、体を基準にした考え方しかできないのかと思うと、心が痛む。

ところで、この事件を扱った映画はほかにもある。事件の当事者に取材したドキュメンタリー『ブランドン・ティーナ・ストーリー』だ。ブランドンと周囲の人々の間で 起こった出来事を、驚くほど緻密に描き出している。この映画も、全面 的にブランド ンの立場に立った作品というわけではない。性同一性障害についての解説もなく、エモーショナルな演出も排除されているため、これだけを見てブランドンに共感する人は少ないだろう。

ただ、ブランドンの遺族、事件の渦中にあった恋人やその母、手を下した犯人たち、 死刑を宣告された犯人の親族、ブランドンとともに殺害された被害者の遺族、これらの人々が実際に登場し、カメラの前で自分達それぞれにとっての「真実」を語る姿は 、何よりも重く衝撃的だ。彼等の言葉の一つ一つ、どれをとっても心に響かないものはない。悲劇の全貌を知る上で、これ以上の資料はないだろう。『ボーイズ・ドント ・クライ』では十分に描かれていない警察の過失責任や、事件を裁く司法制度の矛盾も明らかにされる。ブランドンに冷たい視線を投げかけた人々の「彼らなりの理屈」も語られる。性同一性障害の当事者には重い内容かもしれないが、逆風の中でサバイ バルしていくために何をなすべきか、何をしてはいけないのか、教えられる映画だ。 『ボーイズ・ドント・クライ』に感動した人にも、釈然としなかった人にも、一見をお薦めしたい。

*1 よくある「男の心を持った女性」「男装した女性」「本当は女性」といった表現 は何とかならないものだろうか。そういった言葉遣いこそピントはずれのイメージを 植え付ける原因のように思う。何より故人の思いに反しているのではないだろうか。
*2 "the ONION's a.v.Club"掲載のインタビュー記事 (http://avclub.theonion.com/avclub3539/avfeature3539.html) ブランドンが、自分が同性愛者であることを否定するあまり、自分を男性と考えるようになったのではないかというピアースの推測は、まさに先入観に基づく偏見の一つ だと思う。

(野宮亜紀) ※第9回映画祭上映作品『ブランドン・ティーナ・ストーリー』の翻訳を担当。


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「もっと、短く、もっと、もっと」タチ系レズビアンならけっこう美容院で口にする言葉だ。「そんなに切ったら可愛くないよ」そう言われても、しょーもない。そして、友人に切ってもらったり、床屋へ行ったりすることになる。主人公のブランドン君もイトコに髪を切ってもらっていた。そして、デートへ。

ありがちエピソードから始まるこの映画、しょっぱなからブランドン君のダッ サイ帽子とシャツに沈痛な気分になった。本人カッコイイつもりでダサい、バーで男(タチ)ぶって強い酒を飲みすぎる、すぐに「ひゅー」とか言って盛り上が る。そこらにいそうな若いタチ君がそこにいたのだ。そして、ブランドン君が本当にTSなのか不思議に思った。いくらなんでも指輪を渡す手管とか、女心わかりすぎなのよねぇ、目が覚めてさりげなくプレゼントがあったりしたらグッとくるわん。ワタシにもくれ!ってカンジ。あはん。

ワタシはブランドン君をGIDとして見ずに「そこらによくいる若くてバカなタッちゃん」として見つづけた。そのタッちゃんはGIDが何なのか、調べも知りもしないで平気でGIDを自称する。なのにカウンセリングは拒否する。そして50才、70才、来るべきユーウツな将来のことをまじめに考えたりしません 。ブランドン君だけがそうだというわけではありません。日本全国、どこでもおバカなタッちゃんはそうだったりするのです。

もちろんタッちゃんは可愛いカノジョが欲しいに決まってます。ラナちゃんは無教養でちょっとアバズレですが、心根やさしくいい人です。元レディース特攻隊長、夜露死苦!! みたいなものでしょうか。ブランドン君はとにかくラナちゃんに惚れこみます。んで、後先考えずにクソ田舎へ旅立ってしまいます。 そして、ムショ帰りのラナちゃんの知人の田舎モンから「男というもののあり方」を学んだりします(カンチガイ)。

ワタシの心を打ったのは、終盤に追われるようにして知人の納屋に寝泊りする ようになったブランドン君のもとにラナが現れる。そして、ブランドン君、初めて服を脱いでカノジョとセックスする。「ブランドン君、自分があるがままの女であることを受け入れたのね!」、自分の体を受け入れることができてよかったね、遠回りしたね、って。

真実のブランドン・ティーナのセクシュアリティは分からない。でも、ワタシ の中でのブランドン君は「やっとレズになれたおバカなタッちゃん」だ。そして 、計算なく、おバカなゆえに、愛すべき人間だ。

TS=TransSexual トランスセクシュアルの略語    
肉体の性別と反対の性別を精神的に自認する人    
このケースは女体に男性の魂が宿った、ということ。    

GID=性同一性障害

(つっちー)
「鬼レズはマッハで走る」 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/1083/


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(2001/4/2更新)
   
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