その過激な性描写ゆえに本国フランスで上映中止に追い込まれたという曰く付きの作品「ベーゼ・モア」。
マニュはポルノビデオで小金を稼いでいるが決まった職もなく、兄とふたり暮らし。ある日、友人のカルラと一緒にいるところをレイプされてしまう。それを知った兄は銃を取り出し、奴らをぶっ殺すと息巻く。自分の気持ちを置き去りにして、報復を真っ先に考える兄ともみ合ったすえ、マニュは兄を撃ち殺してしまった。
娼婦ナディーヌはルームメイトに生活のだらしなさから恋人のことまで口やかましくののしられ、逆上して彼女を絞め殺してしまった。
それぞれに殺人を犯したふたりは夜の街で「運命的な出会い」を果
たし、旅に出る。セックスと暴力とドラッグに彩られた、当てのない旅に。
殺人を犯したふたりにとって、これは逃避行である。しかし追うものの影は定かには見えず、彼女たちに追われるものの危機感や逼迫感はない。むしろ、戒めをほどかれた解放感の方が色濃く見える旅だ。とりわけマニュは、犯されるばかりの獲物に過ぎなかった生活を捨て、犯す側へ、殺す側へ変貌したあとのほうが生き生きとして美しい。中でも圧巻なのは、引っかけた男とセックスをしたあとの彼女のせりふだ。「ありがとう、よかったわ」というそれは、今までは男の口から発せられていたものだ。
道行きをともにするナディーヌも、それまでのような倦怠感はない。まるでスポーツを楽しむように、彼女たちはセックスをし、人を殺す。
何より印象的なのは、あどけなくすら見えるマニュの表情だ。彼女は自分の無力さを知っている。だからこそレイプされても無駄
な抵抗はせず、「殺されないだけまし」と言ってのける。しかし大切なものを(たとえば傷つけられた自分の尊厳を、またドラッグがらみでリンチに遭う幼なじみを)守ろうとするとき、彼女の心は熱を持つ。ほかには誰も、守ってくれないから。
その不思議に無垢な彼女を目の前にすれば、誰でも守ってやりたくなるだろう。いや、男たちは皆、彼女を汚すことしかしなかった。彼女を愛しているはずの兄でさえ、所有物のように扱うことしかしなかった。
旅を続けるに連れ、ますます無垢になっていくマニュ。檻に閉じこめられて毛艶を失っていたヤマネコが、自然の中で徐々に美しさを取り戻すように、彼女は本来の野生を解放する。
そのかたわらのナディーヌは……ナディーヌはマニュほどには暴力もセックスも望んでいなかったように見えた。彼女はマニュの無垢にとらわれてしまったのではないだろうか。「運命」という言葉を口にしたのはマニュの方だが、「偶然とは思えない」としか言えないナディーヌの方が、運命にとらわれてしまったように思う。
たとえばマニュにとって、それはナディーヌでなくてもよかったのではないか。けれどナディーヌにとっては、マニュでなければならなかった。マニュに出会わなければ、彼女は倦怠の日々にとらわれたまま、殺人者として裁きを受けたに違いない。
ある時マニュはうまく逃げ切れるはずがないと言い、「そのときがきたら殺して」とナディーヌに頼む。しかしナディーヌはそんなことはできないと断った。マニュは、傷を負った美しい獣。見捨てることも、ましてや自分の手に掛けることもできるはずがない。だからこそマニュは、ナディーヌと旅を続けたのだろう。確信していたわけではなく、ひたすら本能的に、守護者と認めていたのだ。
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