queer de pon
  ハイアート HIGH ART(1998)

HIGH ART 監督:リサ・チョロデンコ
出演:ラダ・ミッチェル、アリー・シーディ、パトリシア・クラークソン

写真雑誌の新人編集者シドは、かつてアートシーンに君臨した伝説的な写 真家ルーシーと出会う。ルーシーの写真に惹かれたシドは何とか復帰させようと、彼女を取り巻く人々の放埒で自己破壊的なライフスタイルへ入り込んでいく。二人の間には恋愛感情が芽生え、ルーシーはシドを「恋人」としてプライベート・フォトを撮り始める 。二人は様々な「障壁」を乗り越えたかのようだったが、事態はそれほど単純ではな かった。

※ビデオタイトル「プライベート・フォト」

ハイアート オフィシャルホームページ
日本 http://www.kinetique.co.jp/highart/index.html


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女同士のペアがそれぞれ仕事を持って、この社会で生きていくのはかなり難しいこと だ。長年、ライターという職業を持ってやってきた私だが、つくづく世の中が歴史的に男性を中心に作られてきたことを実感している。だから「男以上に」頑張ろうとしてしまう女性も多いのだが、この作品を見てニューヨークもやはり同じなのだなと思った。アートシーンの一角をになう写 真雑誌の編集部内は、女性達の野心達成の恰好の場所として描かれている。気鋭の女性編集長は受付嬢からその地位 を得、主人公のシドもその後に続いて、ようやくアシスタントの地位 に就いた。そして今受付をしている女性もまた、野心に瞳を輝かせながら、シドの地位 を虎視眈々と狙っている。彼女はシドに尋ねる。「その仕事を得るために何をしたの?」 妙な尋ね方だが、その裏側に正当ではないやり方で成功を手にする女性も多いという事実を匂わせている。

このような状況にいる主人公が、才能ある女流写真家ルーシーと出会う。彼女は実はかつて大いに活躍したけれど、突然表舞台から姿を消して、恋人グレタとともに、退廃的な暮らしをしている。この二人がどうやって生計を立てているのかは定かではな いが、どうもルーシーの家はユダヤ系のお金持ちだというのが後に描かれる。かたやグレタはドイツ人だから、そこら辺に民族的な葛藤があるようだし、ルーシーがアートシーンから姿を消した理由が、アートと商業主義の間で葛藤した末という設定にも 、現代アートへの痛烈な批判が感じられるが、それはさておき、シドはルーシーを再び世に出したいと考え、何度か彼女と会ううちに、恋に落ちるのである。とはいえ何だか腑に落ちない点がいくつも出てくる。その疑問は集約すると、二人の関係が純粋な恋愛なのか、お互いの仕事に対する下心なのかというのが今ひとつはっきりしないというところにあるのだと思う。だが生身の人間の人生を考えてみれば、純粋な愛情だけで生きようとしても「生活」はついて回るわけだし、この方が実はリアルなレズビアンの実状を描き出しているともいえる。シドは何とかしてルーシーの作品を世に出すことで自分を認めて貰いたいわけだし、ルーシーにしたってドラッグまみれの今の生活から抜け出したいという気持ちがあるのは確かだろう。

ともあれこの二人の恋が、ラストのルーシーの死という悲劇へと続いていくのである 。ルーシーが遺したのは写真雑誌の表紙として飾られた、シドと自分のベッドシーン 。ルーシーは死んでも、雑誌は世に出て、センセーションを巻き起こすことは容易に想像できる。さてシドは、これからどう生きていくのだろうか・・・。

この作品には、あからさまな同性愛差別者や人種差別者は登場しない。何と言っても 、ニューヨークの最先端アートシーンが舞台だし、生き馬の目を抜く競争社会である 。誰と誰が同性愛者だなんて、取りざたするほど下世話な根性も、余裕もないという ことなのだろうが、そこにこそ社会的野心の元に右往左往する最も俗物的な根性が見え隠れするあたりに、この監督の皮肉な視線が感じられる。それを象徴的に表現しているのが、ラストのシドの不安げな表情だろう。それが恋人の死を悲しむ顔というよりは、有名な写 真誌の表紙に映し出されてしまった「レズビアンとしての自分」が、 この先「編集者としての自分」をどこへ連れていくのだろうかという恐れの顔に見えるのは、私だけではないと思う。

(ざくろ)


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魅惑的で、刺激的な映画ではあります。比較的おとなしめのプロットで、ペースもまったりとしているので、決してアップリフティングな映画とは言えません(もしかしたら、眠気を誘われてしまう人もいるかも…)。しかし、なぜか最初から最後まで映画に没頭してしまう人が多いようです。その理由の一つは、この映画の持つ独特のリアリズムにあるのかもしれません。

非常に大雑把に言ってしまえば、この映画は、三人の女性(シド、ルーシー、グレタ )の間に芽生えた三角関係とそこに介入してくる様々な感情を扱ったものです。映画を見た後、感情のローラーコースターに乗った気分にさせられたのは私だけではないはずです。恋愛、野心、希望、感情操作、裏切り、うぬ ぼれ、自暴自棄、満たされない期待…。そうした様々な感情が主に三人のヒロインによって描かれています。結局のところ、「愛」(というかおそらく「生」一般 なのでしょうが)というものは、美しく、その人の何かを変えさせるほどに建設的な力を持っているからこそ、感情操作と権力行使の道具にもなりうる、諸刃の剣だということでしょうか。

確かに、この映画は、「レズビアン」の関係を扱ったものの中でも、斬新な方ではります。しかし、結局のところ支配的な恋愛物語が持つありきたりさに陥ってしまっているのは残念です。恋愛ものの映画には、ある一種のパターンというか公式があるようです。つまり、恋愛物語というのは、多くの場合、その恋愛の成就を常に脅かすような一連の「障壁」についての物語だと言えるでしょう。そうした「障壁」がなんであれ、それらは、物語の中に緊張を作り出し、観客による物語への感情移入を促進させる効果 を持っているようです。まさにこれが、型にはまった恋愛映画が観客に提供する快楽なのかもしれません。

いわゆる「レズビアン」ものの恋愛映画もこうした公式にそっているものが大半なのですが、こうした映画の中での「障壁」には、「レズビアン」に関する支配的な言説を作り出し、維持してしまう危険が常につきまとっています。つまり、古い公式を反復する限り、「レズビアン」ものの恋愛映画は、魅力的な物語を提供するためには「 障壁」が必要でありながら、そうした「障壁」が、問題を抱えている、好ましくない 、不健全な「レズビアン」という言説を再生産してしまうという、ダブル・バインド に陥ってしまうのではないでしょうか。
個人的には、女性間の恋愛関係の周辺に存在している感情的なもつれを、別 の方法で提供してくれる映画を見たいものです。しかし、この映画が、ハリウッド映画がばらまきがちな、過度なロマンティシズムをあえて避けているところには好感が持てます 。

私の意見はともかくとして、この映画は1998年のサンダンス映画祭で注目された作品 で、私の知る限りでは、この映画を見て否定的な感想だけを並び立てる人にはお目にかかったことがありません。三人の女性俳優もはまり役ですし、特にアリー・シーデ ィーとパトリシア・クラークソンによる演技はパワフルです。まだご覧になってない方には、ぜひお勧めします。

(Y.I.)
LOUD オフィシャル・ホームページ
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/6507/index.html


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女性のための映画だね。でも・・・・。

見終わった最初の感想はそんなとこでしょう。この映画、繰り返しになるけれど女性のための映画です。主人公シドの置かれている状況というのは、女性にとってはいかにも有りがちなシチュエーションで、女性が比較的共感しやすい雰囲気を作り出しています。そして作品のテイストはフェミニズムがたっぷりと入っています。

無能で頭も悪くしかも自分のことを雑用係にしか思っていない男性の上司と、仕事に理解のない彼氏、この二人に囲まれてシドは「いまいち」な日常を送っている。そんな中、偶然出会ったのが10年前に姿を消した写 真家のルーシー。シドはすごい才能を発見したと上司に説明する。何回も出てくるが結構私はシドの写 真評の場面が結構好き。さすが受付の女性に「私は批評理論を勉強したの」とアグレッシブに言うだけのことはある。構成、ライティングなどなにが良いのかきちんと言葉で表現している 、というか批評している。感性で表現される世界をきっちり論理づけているのは良いことだなあ、と感じる。

そんなアグレッシブなシドに対してルーシーの方は世捨て人のようであり、パートナーのグレタと酒と麻薬浸りのえらく退廃的な日々を送っている。ヘロインを常用している割にはヤク中に見えない、とかあんなに大っぴらに吸ってたらすぐ警察にばれるのでは、という感じもするのだが、何故か大丈夫である。ルーシーの方は表舞台に復帰する気は特になく、シドのために復帰する気になるわけだが、そこからラブ・ストーリーへと話は移行する。しかしシドの仕事の成功と引き替えのように、さあこれからというときにルーシーは麻薬の過剰摂取(らしい)で死んでしまい、映画は終わる 。

映画としてはきれいにまとまっているのだが、いまいちだな、とつい思ってしまう。 最後でルーシーとグレタが死んでしまったので、「結局レズビアンって最後は死ぬ のか」とか思ってしまって、どうも感情移入が出来なくなってしまった。98年の映画 だというのにこの終わり方はない。何でシドとルーシーの新しい生活というラストが 無いんだー、って感じがする。この作品の監督のリサ・チョロデンコはウクライナ生まれのアメリカ育ちだそうであるが、何でこんなラストにしたのか聞いてみたいものである。この映画の中ではレズビアン(に限らずqueer全体)は許されざる存在なのだなあ。後半まで本当に良い感じの映画だっただけにラストが残念だ。
というわけで私は星1つですね。

(パピヨン)


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(2001/4/27更新)
   
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