この作品は女性の同性愛を題材にしていることが"売り"になっている。が、実際に中心になっているのは、愛と嫉妬の三角関係に翻弄され破滅していく人々の姿だ。ここで描かれているのは「破滅の美学」で、同性愛か異性愛かは本質的な問題じゃないと思う。「破滅の美学」と言えばデヴィッド・クローネンバーグの名前が浮かぶが、彼の映画でも、双生児の兄弟が一人の女性を愛して破滅する話がある(※注)。「双生児の兄弟」のところを「愛情の冷めた夫婦」と置き換えれば、なんだ、似たような話じゃないか…。
そういうわけで、私の頭の中では『卍』はクローネンバーグと同じ「破滅ジャンル」
に分類されていて、「同性愛ジャンル」の棚には入っていない。にも関わらず、世間が同性愛の部分だけを強調しがちなのはどういうわけだろう。「同性愛」と「破滅」
をことさらに結びつけて考えたい人が多いのかもしれない。もっとも、この映画が撮られたのは30年前で、原作が書かれたのは70年前だ。過去の作品としては致し方ない面
もあるだろう。導入部の女二人の関係については素直に共感できる部分もあるが、
主人公は滑稽なくらいに暴走気味に描かれていて、日常と狂気のぎりぎりのラインで
あることは確かだ。
最後になってしまったが、上方言葉での「語り」は原作通りに活かされていて、ねっとりとした湿り気のある雰囲気が良く出ている。映像も日本映画の美学を体現していると思うし、海外での上映が多いのも理解できる。つまるところ、同性愛は二の次と
してニッポン的な耽美にひたりたいならオススメだ。でも、同性愛(レズビアン)について考えたい(あるいは知りたい)なら、迷わず『ウーマン・ラブ・ウーマン』を
見るべし。
注)『戦慄の絆』(1988) ジェレミー・アイアンズ主演
(野宮亜紀)
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