queer de pon
  2番目に幸せなこと The Next Best Thing(2000)

監督:ジョン・シュレシンジャー
出演:ルパート・エヴェレット、マドンナ、ベンジャミン・ブラット、リン・レッド グレーブ

失恋したばかりのアビーは、親友でゲイのロバートと成りゆきで1夜限りの関係を結 ぶが、運命のいたずらか、アビーは子供を身ごもってしまう。やがて、息子が生まれ 、彼らは幸せな生活を送っていたが、アビーに新しい恋人ができたことから、アビー とロバートの微妙な関係は揺らぎはじめる。マドンナの「エビータ」以来の主演作。 監督は、「真夜中のカーボーイ」のジョン・シュレシンジャー。

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二番目に幸せなこと オフィシャルホームページ
日本  http://www.videos.co.jp/nbt/index_flash.html
イギリス  http://www.bvimovies.com/next_best_thing/index.html


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「子ども欲しくなったら、私のおなか貸してあげる」とゲイの友人に冗談を言ったり 、「愛情とセックスと結婚の三位一体説はうさんくさいよね」とフェミニストの友人とうなずき合ったりしているノンケ女の私としては、 マドンナ演じる主人公のアビーとゲイの友人のロバートが一人息子のサムを「友情」 というパートナーシップのもとで育てるという物語前半の流れはとても納得できるものだった。そうよ、ばふっ !(←机を叩く音) 「親」 になることとセクシャリティは関係ないわ! 大切なのは愛情だもの! 最近の心理学でも、子どもを養育する親の心性を「母性」「父性」っていうジェンダーを前提にした言い方じゃなくて、「 養護性」っていう言い方で表すようになっているわ! それに「授乳」以外の養育行動は男も女も関係ないってよ! だいたい「授乳」つったって、私の母親は母乳の出が悪かったから、私なんかほとんど人工乳で育ったわよ! ビバ、人工乳! はぁはぁ…(←息切れ)――と、かなり脱線しつつもアビーとロバートの選択に深く同意した私だった。

「けれど」というべきか「だから」というべきか、物語後半になって、アビーとロバ ートのパートナーシップ が、「恋人」という別の関係性によって揺さぶられ、その対立項として浮かびあがっ てきたものが(アビーとロバートの間にある「友人」という関係性ではなく)「親子」という関係性だったことは、私には少し寂しかった。 恋人と一緒に暮らすためにロバートと別れてサムを引き取りたいアビーと、自分は父親だからとサムを決して渡したくないロバート。「恋人」でも「親子」でもない、「友人」という関係性はどこへ?(ちなみに、サムの親権をめぐる裁判のシーンを見て、血縁関係、婚姻関係以外の関係って法律的に保護されないんだなぁ…と改めて考えさせられた)

この映画のラストシーン、坂の上で抱き合うロバートとサム。結局、一番大切なのは 、最後に残るのは「親子」 の絆だということ。まさに映画のタイトル通 り「恋人」も「友人」も、セックスも友情も「二番目に幸せなこと」 なのだということ――いつか私も見晴らしのよい坂道で、人生の峠で、自分にとって 一番幸せなことを選び、自分にとって一番大切な人と抱き合うのだろうか。けれど、 私は「一番」も「二番」もなく、自分にとって大切な人達とはいつだって抱き合っていたいと思う。ロバートとサムの「親子」の絆が「血」ではなかったように、重要な他者との関係性のプライオリティを「血」や「体」のつながりだけで説明したくはないということ――なんて、こんなふうに思ってしまうのはやはり私が人工乳育ちだからだろうか(苦笑)。

(井上 澄)


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ゲイとしては正視に堪えない映画だなあ、と思う。

大体いくら酔っ払ってらんちき騒ぎをしたからって、あれだけどっぷりゲイの男(ルパート・エヴェレット)が親友の女(マドンナ)に「入れたと思い込む」か? なんて個人的には思うが、確かにセックスというのは時に想像も出来ないことになってしまったりもするから、まあアリだとしよう。しかし後半、2人の仲がこじれて裁判にもつれこんだ後の不快な展開はどうだ。女が長い間ついていた嘘は棚に上げられ、ゲイの男の行動が(これまた、いくら追い詰められたからといってもいささか説得力に欠けるのだが)決定的にイヤ〜な後味を残す結果 を招く。そして結末はと言えば。ノンケ女は一番望んだもの(イケる男との結婚と子供)を両方とも手に入れ、ゲイは「 2番目に幸せなこと」に甘んじる、そういうことか?

なるほど、もし実際にこういう事件が起きれば確かに結論はこうなるのかもしれない 。現実世界では人は結局信じあえず、けれど傷つけあうのは嫌だから仕方なく(Next Bestの方法として)許しあうしかないのかも。しかしそんな話、誰が見たいんだ? いささかステレオタイプなのを覚悟で言うなら、そんな厳しい現実のなかに一縷の望みを見出してそれを機知や皮肉で彩 るのがゲイの専売特許だったわけで、そういう映画にすることだって出来たんじゃないか。そういえばゲイ映画ではお決まりの「口は悪いけど困ったときには助けてくれる友達」の姿は、この映画の後半では嘘のように消えてしまう。主人公は孤立無援だ。もしここできちんと、彼をサポートする友人達の姿が描かれていれば、(「ゲイ映画」としてはまだ)見られるものになったかもしれないのだが。

プロデューサー的視点に立てば、何もマドンナやエヴァレットというスターを使いながらそんな「いかにもゲイ映画」的味付けをする必要はないかもしれない、いやむしろ、しないほうがいいと判断できるかもしれない。かの国では良くも悪くもそういう 「いかにもゲイ映画」は巷にあふれているし、そういった映画はかなり観客を限定してしまうからだ。しかしながらこの救いのない話に必要だったのは、ステレオタイプであろうがなんだろうがやっぱり、ゲイお得意の皮肉の効いた楽天主義なのだと思う 。

たとえば同じ結末だったとしても、もっと少ないバジェットでいいから、マドンナやエヴァレットのようなスターではなく、無名だけれど表情に希望のある役者を使っていたなら。そして監督も、最新のとは言わない、せめて1990年代後半的感性で「セックス」や「ゲイ」や「家族」というテーマを処理できる力を持った人だったなら(今 更ジョン・シュレシンジャーでもないでしょう)。そうしたら、もっと違う印象の映画になっていたかもしれない、なんて思う。「ゲイとノンケ女が子供を持ったら?」 という前提自体は悪くないだけに、残念。

(ochitaro)
ochitaro does reboot(ochitaroさんホームページ) http://www.ochitaro.com/


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全世界のマドンナファンの中で、女優としての彼女に注目している人は果 たしているのだろうか。彼女がこの20年に出演した映画は17本。マドンナは女優になることに真剣だ。だが、スーパースターの歌手マドンナに比べて、女優マドンナはカルトスターだ。「エビータ」(1997)でゴールデングローブ賞主演女優賞に輝く一方で、ゴールデンラズベリー賞(その年の最悪の映画を決める)主演女優賞の最多受賞者(「上海サプライズ」(1986)「フーズ・ザット・ガール」(1987)「BODY」(1993)など)であり、 先日は同賞の20世紀最悪女優賞に輝いた。

何でこんな事態が起こるのだろう。歌手としての彼女は最強だ。すべてをコントロールするビジネスウーマンであり、一連のビデオクリップでは何度も世間を騒がせた。 それなのに、何で女優としては大成しないの? マドンナ曰く「結局は、自分で監督しないとダメなのよ」。う〜む。でも、彼女が製作した「PAPA DON'T PREACH 」(1987)や「BAD GIRL」(1993)でみせた見事な演技、「イン・ベッド・ウイズ・マド ンナ」(1991)や「スネーク・アイズ/ボディ2」(1993)の素晴らしい出来を思うと「もしかしたら」という気も起こさせる。

マドンナの演じる役柄は大きく2つにわけられる。ひとつは50年前の脚本と言っても通 用するようなヒロイン。お色気の役どころに終始したり(「上海サプライズ」「影と霧」(1992))、悪女に扮して展開を牛耳ったかと思うとラストで命を落とす(「ディック・トレイシー」(1990)「BODY」「エビータ」)。実際は、向かうところ敵無しのマドンナが、ハリウッドの男社会に潰されているのだ。 もうひとつは彼女自身に近い役柄。「マドンナのスーザンを探して」(1985)は、当時のファッションをマドンナ自身が担っていることを象徴するものだったし、「イン・ ベッド・ウイズ・マドンナ」(1991)は巧みなイメージ戦略としてのプロパガンダフィルムに仕上がった。「スネーク・アイズ」(1993)では、偽ブロンドで映画女優になることを切望しているTV女優というセルフ・パロディを演じ、それまでの最高の演技を披露し、「エビータ」の野心的なシンデレラ・ストーリーは彼女の人生そのものだ った。

そして、今度の「2番目に幸せなこと」(2000)。マドンナ演じるはヨガのインストラクター。彼女はゲイの親友と何と、子供を作ってしまう。んが、男ができると親友をポイッと捨ててしまう。これでは、まんま、彼女の人生ではないかと吹き出してしまった(ルルドのパパ、カルロス・レオンは何処)。つまり、この役柄をマドンナほど 、説得力を持って演じられる女優はいないということだ。上の分類だと後者に入る。

実生活でも親友のエヴェレットとマドンナ。子供ができて、鉄の女であることを放棄したマドンナと、ゲイにとって、永遠の夢である子供を持つというエヴェレットの気持ちが映画にうまく反映されていると思うし、セックスのない友情だけで成り立つ家族関係は非常にユニークなものだ。 身勝手な行動の上に、ラストで「私たち馬鹿だったわね」と台詞をはくヒロインに「 ふざけんな」と反感を覚える人もいるだろう。エヴェレットのとほほぶりも痛々しい 。でも、ヒロインにマドンナの人生を反映させていることを考慮すると、これは意図的な役作りだと思う。彼女は、決して、「お手本」になりたいわけではないのだ。

親権争いの裁判なんていうありきたりな展開など、突っ込みどころはあるけれど、まぁ、家族の意味やあり方を考え直す良い機会を与えてくれる映画なのではないかな。

(michi-ta)


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(2001/3/6更新)
   
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