フランスでは1974年に公開されたこの作品を、私を含む多くの日本人が90年代に入ってから観ているのではないだろうか。監督のジャック・リヴェットが91年
の「美しき諍い女」で世界的評価を得たことによって、日本にもようやく紹介されたこの作品を初めて観た時、とにかく夢中になって、立て続けに三回も繰り返して観た
ことを鮮明に覚えている。その時はどこがどう面白いのか、など考えようともしていなかったのだが、今回、これを書くに当たって再度ビデオを観て、うなってしまっ
た。たぶんこの作品を少なくとも「好きだ」という人が百人集まったとして、どこが
面白いかと尋ねたら、百通りの答えが返ってくるだろう。優れた童話が多くの人々の
心の奥底に眠っている想像力を多方面から刺激するのと同様に、「セリジュリ」(タイトルが長いので略します)にも、数多くの示唆に富んだ仕掛けが施されている。そのどこに反応するかは人ぞれぞれだろう。また何度も観ている内に、別
の仕掛けに気 付いて新たなイマジネーションを掻き立てられたりする事もある。まさに万華鏡。そこがこの作品の最大の魅力だと思う。
とはいえ、こんな表現ではこの作品がどんなものなのか、予想もつかないだろう。
そこでここでは、私が最も面白いと感じたところをお話ししたいと思う。
これは「少女殺しを阻止する二人の女」の物語だ。「少女殺し」などというといか
にも剣呑であるが、ここでのそれはかなり比喩的なものである。たとえばユング派の心理分析家たちは、神話やおとぎ話の中の普遍的な心理を象徴する人物や事象を、
アーキタイプとして取り上げ、カウンセリングに用いるのだが(「老賢者」「グレー
トマザー」「トリックスター」「少年」といった人物や「父親殺し」「母親殺し」といった行為を元型として、クライアントの心理状況に重ね合わせることで、彼等の自己理解を促すのだ)、リヴェットが描き出そうとした「少女」及び「少女殺し」も、
それに近いものだと考えられる。
古い館で日々、繰り広げられる男女の愛憎劇。一人の男を巡って、二人の女が暗闘するという、ありがちな、お定まりの、三角関係である。少女はそれに巻き込まれ、
犠牲になっている。そしてこの愛憎劇を繰り広げているのは幽霊だ。幽霊とはつま
り、人間の想念や意識の残像だろう。
非常に面白いのは、この愛憎劇を演じている女優の一人は、明らかにカトリーヌ・
ドヌーヴをパロっていると思われる所。ドヌーヴといえばヌーヴェル・ヴァーグ全盛
期に活躍し、一世を風靡した存在である。また男一人に女二人とか、女一人に男二人の三角関係というのも、ヌーヴェル・ヴァーグを筆頭にフランス映画が得意としてき
たテーマの一つではなかろうか。思えば1960年代から70年代にかけて、ヌーヴェ
ル・ヴァーグの旗手と呼ばれた男達は、競って美しく個性的な女優を起用して自分たちの夢の世界を表現していた。現実の世界でも彼女たちと恋に落ちたり、三角関係を演じたりしながら・・・。かつて10代だった私は、彼等の作品の奇抜でユニークな
映像表現に惹かれる一方で、どこか本質的な違和感を感じていたのだが、「セリジュリ」を観ていて、それが何であったかに気付かされたのである。思えばトリュフォーやルイ・マルが描くファムファタルも、あるいはイタリアの巨匠フェリーニの描き続
けた巨大な女がイメージさせる「グレートマザー」も、彼等の憧れやコンプレックス
を投影するものとして表現されていた。つまり女達は、一人の人格を持った人間では
なく、男達が憧れたり、畏れたりする「女性像」を一生懸命に演じているために、女である私から見ると、どこか嘘っぽく見えていたのだろう。
そして何はともあれ、この愛憎劇に巻き込まれている「少女」は、否応なくこの嘘っぽい女性像を、その意識に刷り込んでいき、放っておけば自らも無意識のうちにその女性像を演じるようになるに違いない。そうなる前に救わなければ、とセリジュリは立ち上がる。・・・ところでギリシャ神話に登場する「少女」は、大地の女神デメテルの娘コレーとして描かれている。コレーは冥界の神ハデスによって誘拐され、
紆余曲折を経て冥界の女王ペルセフォネへと変容していくのである。セリジュリに救われ、嘘っぽい女性像から解放されたこの少女も、いつか立派な魔法使いとなること
だろう。セリジュリがへんてこな魔術師と魔術マニアの図書館員のコンビという設定
も、まことにシンボリックである。
ラスト、蝋人形と化した男一人と女二人が、舟で流されていくのを同じく舟に乗るセリジュリと少女が見送るシーン。それは形骸化した男女関係に別
れを告げる女達の姿ではなかろうか。
ところでこれは余談だが、幽霊が繰り返し演じている悲劇に、生身の人間が関わっていって、その悲劇に終止符を打つ・・・というこの作品のプロットは、数年前私が読みふけっていたヤオイ小説、ごとうしのぶさんの「タクミクンシリーズ」の中の一
作品(タイトルを忘れちゃいました)にとてもよく似ている。もしかしたらごとうさ
んは「セリジュリ」にインスピレーションを受けたのではないかと睨んでいるのだが、興味のある方はぜひルビー文庫のこのシリーズを読んで下さい。
(ざくろ)
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