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ゲイ映画の現代史
−<善人>と<悪人>のせめぎ合いから
           ハリウッド映画を概観する−
written by 玉野真路
1. 死亡者名簿〜ハリウッドにおけるゲイの過去帳
 書籍版『セルロイド・クローゼット』には「死亡者名簿」がついている。これには、実際に死亡した人ではなく、映画の中で死んでいったゲイやレズビアンが載っている。ざっとみると、死因のほとんどは「自殺」と「他殺」だ。アメリカでゲイの社会的受容は最底辺に達していた60年代から70年代にゲイがたどってきた苦難の道を示す興味深い付録となっている。

2. ゲイのカリカチュア〜最新のゲイ表象の傾向
 それから30年。このごろのハリウッド映画では、自殺や他殺で死ぬゲイは激減し、スクリーンの中で堂々と生きている姿が目にみえるようになってきた。ゲイ・リベレーションの動きを反映した映画ですら、自主製作ではなく、ユニバーサルなどの大手で製作されるようになってきた。「ゲイの異性愛者への転換療法」のカリカチュア『GO! GO! チアーズ』(ジェイミー・バビット、1999)や、あらゆる人権問題を戯画化した『サウス・パーク/無修正映画版』(トレイ・パーカー、マット・ストーン、1999)などは、異性愛者はもとより、冗談の通じない生真面目なゲイまでも笑い飛ばしてキャンプな精神を発揮しつつ、ゲイリブの要点を広めるよううまく作られている。

3. 「苦悩の時代」から「解放の時代」へ
 〜変化の経過を追う

 この30年間のうち、最後の15年ほどの間に起こった、これほどの大きな変化には、中間段階があった。30年前の「自殺か他殺か」の時代のあとに続くのが、苦悩の時代だ。『アナザー・カントリー』(マレク・カニエフスカ、1983)、『モーリス』(ジェームズ・アイボリー、1987)や『ベント/堕した饗宴』(ショーン・マサイアス、1997)などに代表されるように、ゲイである自分を生きることの苦悩を描くタイプの映画、それにさらにエイズの問題が加味された『フィラデルフィア』(ジョナサン・デミ、1993)もこうした映画群に含まれるだろう。これらのタイプの映画は主に80年代後半から90年代前半に集中的に現れ、その後も散発的に見られる。90年代に入るとゲイであることを楽しむタイプの映画が登場する。『プリシラ』(ステファン・エリオット、1994)を白眉とするこのタイプの映画には、ゲイ・バッシングなども描かれはするが、颯爽と生き抜くゲイの姿が描かれていて感動的だ。『プリシラ』と同じくドラァグクイーン3人組みがアメリカの田舎を旅する『3人のエンジェル』(ビーバン・キドロン、1995)、エイズの問題を肯定的な視線で扱った『ジェフリー』(クリストファー・アシュレイ、1995)のように、ポジティブなメッセージを内包するものが現れた。

4. <善良なゲイ>の出現〜フランスからアメリカへ

 このころフランス映画では、『サム・サフィ』(ヴィルジニ・テヴネ、1992)『恋の力学』(フィナ・トレス、1996)『猫が行方不明』(セドリック・クラピッシュ、1996)などで、脇役のゲイが“良い人”として登場するようになってくる。一方、アメリカでは1969年のいわゆる「ストーンウォール暴動事件」以来、アメリカで盛んに行われてきたゲイリブ運動が一定の成果をあげていた。それに追い討ちをかけるように、1997年にエレン・デジェネレスが米ABCテレビのコメディ番組『Ellen』でレズビアンであることをカミングアウトした。このカミングアウトは相当な物議を醸し、全米のPTAなどから強い抗議があり、人権擁護を求めるゲイリブ業界と真っ向から対立した。ハリウッドの映画会社は、常に金で動くと考えてよい。このケースでは、ハリウッドは結局ゲイ・マーケットを意識して、ハリウッドはゲイを差別しないという決定を下した。
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