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ゲイ映画の現代史
−<善人>と<悪人>のせめぎ合いから
         ハリウッド映画を概観する−(2)
5. <善良なゲイ>のいき過ぎ
 〜だれもゲイを笑ってはならぬ

 ハリウッドはそのころから、しばらくの間、ゲイを腫れ物に触るように扱うことになる。 『バードケージ』(マイク・ニコルズ、1996)、『In & Out』(フランク・オズ、1997)、『2番目に幸せなこと』(ジョン・シュレシンジャー、2000)といった映画では、ゲイは無理やりにでも称揚される。

『バードケージ』は、フランス映画『Mr.レディ Mr.マダム』のハリウッド版リメイクだが、オリジナル・バージョンにあったゲイに対してシニカルに構えた視線を捨て去ってしまったため、毒気がなくなってしまった。オリジナル・バージョンではシニカルさとプライドの微妙な関わりが、このドタバタコメディに奥深さを与えていたのだった。
『In & Out』では、主演のケヴィン・クラインは、バーブラ・ストライサンドが好きで、ダンスが好きで……とあらゆるゲイ的な兆候を身につけた教師として描写される。彼は、なんと結婚式でカミングアウトして、婚約を破棄してしまう。映画では、卒業式で名誉挽回するものの、ゲイ・アイデンティティを称揚するにしても、あまりに切羽詰まった状況でのカミングアウトであり、ゲイの間でもこうした状況設定に異を唱えるものも多かった。しかし、この映画ではお構いなしに、ゲイということが免罪符として使われる。
『2番目に幸せなこと』では、主演のマドンナに優しく接するルパート・エヴェレットが、マドンナにできた、だれのものか分からない子どもを、自分の子どもでもいいといって養育する決心をするものの、結局は捨てられてしまう都合の良い役回りを演じさせられる。

 ある男が女性との関係に問題を持ったときに、自分がゲイであるということが免罪符となる例もある。たとえば『ハート・オブ・ウーマン』(ナンシー・マイヤーズ、 2000)で、メル・ギブソンは女性の心が分かるようになったために、モテモテのプレイボーイである。彼は、一度抱いたが、そのあと冷たくしている女に待ち伏せされている。彼女がギブソンに「あんなことがあったけど、本当はゲイなんでしょ?」と詰め寄ったとき、彼は「そうだ、私はゲイだ」という。そのことで、彼女は納得して立ち去ってしまう。こうした例は、ハリウッドがゲイの問題に容易にアプローチできない現状を映し出していると思われる。相手がゲイであれ、ヘテロセクシュアルであれ、不誠実な行為をしたら、それに怒りを感じるのは当たり前のことだろう。不誠実であろうとなかろうとゲイだというだけで、その行為が正当化されてしまう描写に、ゲイを免罪符にせざるを得なかったハリウッドの政治性が見え隠れする。

 こうした状況を逆手に取ったのが、ブライアン・シンガー監督の『X-men』(2000)である。『X-men』では、一見、普通の人間と変わらないX-menたちが社会にカミングアウトして生きていくべきか、否かを議論する会議のシーンが描かれるなど、その重要なシーンにさまざまなゲイ的な問題が映し込まれる。顕在的なゲイが描かれるわけではないが、この時期のハリウッドがゲイを容易に扱えない状況を逆手にとって、X-menという形でゲイ的な問題を描写することで、架空の物語にリアリティを与えていた。
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