「ブランドン・ティーナ・ストーリー」
スーザン・ミュスカ&グレタ・オラフスドーター監督
メール・インタビュー


Q:何故ブランドン・ティーナのことに興味を持ったのですか?
A:マスコミの報道を見ていたら、ブランドンは自分のジェンダーを偽っていたから殺されたのだ、彼にも責任がある、というように書かれていたからです。


Q:この作品に取りかかるにあたって何か留意した点はありますか?
A:ブランドンが女でありながら男として生きようとしたことに怒りを感じた人達が存在し、それこそが殺害理由なのだと考えた人達がいた――何故そんな事が起こったかを追求したかったのです。


Q:インタビューをした人達の反応はどうでしたか?
A:私たちが公平なやり方で彼らの意見を紹介するのなら、ということで大半の人達は積極的に話してくれました。この作品のために4年間彼らに関わりましたし、お互いのことも分かってきました。彼らはとても協力的でした。


Q:彼らの姿勢も変化してきましたか?
A:インタビューを応じてくれた大半の人とはいい関係を築けました。彼らはセンセーショナルな記事ばかりを書いて対象を搾取するアメリカのメディアや映画産業にはうんざりしていたのです。

Q:ブランドンを殺した犯人や当時事件を担当した警察官へのインタビューは容易でしたか?
A:容易という言葉はあまり適切ではないと思います。私たちは長い間準備してきましたのでインタビューが実現した時点では落ち着いていたのは当然です。仕事なのですから。


Q:音楽の使い方が興味深かったのですが、何故これらの曲を選んだのですか?
A:この映画に使われた音楽は総てブランドンと、私たちがインタビューした人達が好きで良く聴いていた音楽だったのです。こうした音楽は,アメリカ中西部に生きる人たちがなにを望み、夢を見、そして恐れたかを雄弁に物語っていたと思います。


Q:『ボーイズ・ドント・クライ』は観ましたか?もしそうならどういう感想を持っていますか?
A:私たちはドキュメンタリー映画作家として、事件の事実を正確に象徴することを細心に取り組んできましたし、インタビューに応じてくれた人達には、必ず発表前に、自分たちの描かれか方に同意してもらっています。ですので、事実をもてあそび、登場人物や事件を歪んだ描き方をしてしまう「フィクション版」には同意できません。


Q:映画作家としての経歴を教えて下さい。
A:グレタは写真家で、スーザンはフリーで映画・ビデオの製作をしています。私達はNYの「ダイクTV」などで一緒に働きました。


Q:いつも一緒に映画を撮るのですか?そうしたことの長所と短所はなんですか?
A:私たちは『ブランドン・ティーナ・ストーリー』から一緒に活動しています。長所としては、私たちがお互いのことをよく知っており、いいチームであること。お互いの才能を信頼していますし、ヘンな憶測をしないですむんです。短所としては、いつも仕事と一緒に生きていることでしょうか。「これ!」と思えるチームに出会ったら、ずっと一緒に仕事をする人って多いんですよ。


Q:現在、コソボやアルバニア、ボスニアに住む女性たちのドキュメンタリー映画を撮影中だそうですが、なぜこの映画を撮ろうとしたのですか?
A:私たちは、現代史において、悲劇的な状況下に置かれる女性たちの姿がないがしろにされている点に興味を持ったのです。彼女らに会い、話してもらい、現在の戦争や内紛が女性としての彼女らの生活にどれだけ影響を与えているかを表現したかったのです。


Q:そうした土地に訪れてみてどうしたのですか?
A:私たちの経験はとてもポジティブなものです。コソボの女性たちは私たちが彼女らに興味をもち、コソボを4回も訪れ、また、彼女らが見せる変貌に意義を見出しているということに驚いていました。女性は二流の国民として扱われてきましたが、そうした考えが、家父長制のプロパガンダにすぎなかったことを知らない人はいません。女性はほとんどの点において男性より賢く、素晴らしいのです。世界を変えましょうよ!


Q:日本の観客にメッセージはありますが?
A:この作品を気に入ってくれることを望んでいますし、いつかは日本に行ってみたいと思います。また、皇太子妃に懐妊のプレッシャーをかけるのもやめましょう。彼女の優秀な頭脳と外交手腕を発揮できるような総理大臣にでもしてあげるといいのでは?彼女は本当に聡明だし、ただ子供を作るためだけにいるのは才能の無駄のような気がします。


July 2000
Original interview in English and translation into Japanese by Noriyuki Nagasaki (special thanks to Akiko Mizoguchi).