「黄色微熱〜イエローフィーバー」
楊至偉 (レイモンド・ヤン) 監督インタビュー



Q:簡単な自己紹介をお願いします。

A:私は香港で生まれて 13 歳まで育ち、その後イギリスのおぞましき寄宿学校に入りました。大学では法律を学び、実際に何年か弁護士として働いたのですが、他人の抵当問題などを処理するだけが人生ではないと気づいたんです。そこで心機一転、メディア学を学んで修士の学位を取った後、映画を作ったり芝居の仕事をするようになりました。





Q:映画を作り始めたのはいつ頃ですか?

A:1993 年です。

Q:現在、どのような作品に取り組んでいますか?

A:香港に戻ったら長編の撮影に入ります。香港に住むゲイの中国人男性が家族や周囲と葛藤しながら愛を探す、そんな話です。撮影にはデジタル・ビデオを使います。そのほうが安上がりで私の思いどおりに作れるからです。製作費が高くなって関係者が増えると自由に動けなくなります。予算を抑えて楽しんで作りたいんです。すでに製作準備に入っているのですが、香港に戻ったらそれを再開します。脚本を書き直す必要もあるでしょう。撮影開始は 9 月頃でほぼ決まり。来年の初めには撮り終えたいと思っています。

生活のためにコマーシャルを作ったり長編映画の美術監督をしていますが、撮り続けたいのはゲイや人種を扱った作品です。それしか撮らないというわけではなく、ヘテロセクシャルの関係を扱った映画も作ります。ですがゲイと人種は常に私にとって身近なテーマなんです。

Q:コマーシャルを作っていることは、映画の作り方にも影響を与えていると思いますか?

A:そう思います。私の作品は元々、実験的ではありません。それに、人は楽しくなければ耳を傾けてくれないと気づきました。ただ突っ立って「聞いてくれ」と言ってもだめなんです。人に理解してもらうには、笑いを取り入れなければなりません。面白くする工夫をすれば、メッセージは伝わりやすくなります。薬を甘くするのに似ていますね。呑み込みやすくするんです。ですから訴えたいことがあれば、観客が楽しめる提示方法を考えます。一人よがりは禁物。そうでなくとも「黄色微熱」のように、扱うテーマがかなり深刻な場合もあるのですから。それを少しでもとっつきやすいものにしようと心がけています。

Q:「黄色微熱」より前にどんな映画を作っていますか?

A:ロンドン芸術協会の依頼で中国の儀式に関する短編を撮りました。そういう仕事をしなくなった大きな理由の 1 つは、中国人のレッテルをいつまでも貼られているのは嫌だと思ったからです。ロンドンにいる時に突然、与えられる仕事や、周囲が私に期待する作品は中国人に関するものばかりだと気づきました。“中国人”であることばかりが目立っていました。中国人のフィルムメーカーであること自体は悪いことではありません。中国人ならではのテーマはたくさんあると思います。ですが私はその前に作家であり、物語を描いていきたいだけなんです。


Q:「ブエノスアイレス」について面白い話があるそうですね。

A:カンヌ映画祭で「ブエノスアイレス」が上映されることになり、王家衛 (ウォン・カーウァイ) 監督と関係者に私も同行しました。作品は拍手喝采を受け、大成功をおさめました。私が上映後のパーティを楽しんでいると、フランス人男性が近づいてきました。

フランス人:おめでとう。「ブエノスアイレス」のあなたはすばらしかった。
レイモンド:何ですって?!
フランス人:本当に名演でした。
レイモンド:それは私じゃなくて、あそこにいるトニー・レオンですよ。
フランス人:そう? でもあなたもどこかで見たことがある。「さらば、わが愛」だったかな。
レイモンド:いやいや、違います。それはレスリー・チャン。彼もさっきあなたが観た「ブエノスアイレス」に出ていましたよ。
フランス人:本当? でもあなたにも見覚えがある。お名前は何でしたっけ。絶対どこかで見てる。前に見たことがある。
レイモンド:そうでしょうとも。私はコン・リーです!

(笑) だからもっとアジア人映画を作る必要があるんですよ。彼らにはアジア人はみんな同じに見えるんだから。私はフランス人を殴ってやりたかったけれど、殴る代わりに痛烈な皮肉を言ったんです。彼は「ブエノスアイレス」を二時間半観ていたんですよ。しかも何度も俳優の顔がクローズアップされていたのに見分けられないなんて……。私はトニー・レオンに全然似ていません。似ていたらどんなに嬉しいか。とにかくフランス人のしたことは、ジェラール・ドパルデューの映画を観て、彼に向かって「君の演技はすばらしかった」と言うようなものでしょ。アジア人が登場する映画がまだまだ少なすぎます。


Q:今年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭であなたの「黄色微熱」が上映されていますが、この短編作品はワークショップが元になっているそうですね。

A:人種差別を取り上げたいという考えは前からありました。とてもすてきなアジア系のゲイが白人の気を引こうと躍起になっている姿をよく見かけます。しかもアジア系どうしで張り合っているんです。私にはそれが不思議でした。そこでロンドンに住むアジア系のゲイを数人呼んでディスカッションやゲーム、運動をして、それに基づいて脚本を書いたんです。

最初はとても長くなったので、際立った人物に絞り込んで短くしました。彼らがゲイ・シーンで生きていくためにどうしているか。たとえば、まったく遊びに出かけないというゲイがいました。
「張り合うのは嫌だから一人でいい。誰も好きになってくれなくても結構。一人が気楽」
あるゲイは熱心にジムに通って体を作り、できるだけ白人のようになろうとしていました。私は彼の言ったことからエッセンスを取り出そうと努めました。短編映画ですから、すべてのエッセンスを凝縮しなければなりません。

Q: 2 人がマイケル・チャンとピート・サンプラスのテニスの試合をテレビで観戦するシーンがありますね。あれはどうやって思いついたのですか?

A:私自身もテニスが好きですし、2 人が急速に接近するきっかけが必要だと感じたんです。ゲイが並んで座ってファッションについて語り合うというありきたりな設定にはしたくないということもあり、話題をスポーツにしたらどうかと思いつきました。それにスポーツなら国籍も関係ない、ニュートラルな話題ですから。

Q:主人公がアジア人とセックスをしたのは、白人に相手にされなかったからだという印象を受けました。言ってみれば残念賞みたいなものだったんですか?

A:同じ感想を言われたことがあります。ですがあれは、主人公なりに考えていたことなんです。彼は白人めあてでバーに行くけれども、結局うまくいかずに帰ってくる、すると中国人の彼に食事に誘われる。その後、主人公は友人に相談し、試してみるようにすすめられます。その過程で彼の中ですでに何かが芽生えていて、彼はそれが何であるか確かめようとしたのです。


Q:香港のレズビアン&ゲイ映画祭について話してください。あなたがディレクターですね。

A:はい。 1989 年に始まりましたが毎年開催していたわけではなく、去年 (99年) もありませんでした。ですが今後は毎年開催したいと思っています。私は今年からのディレクターです。今年は長編約 10 本を含んだ 14 プログラムを上映しました。「モダン・ラブ」全 8 話を 1 日がかりで見るという驚くような企画もあったのですが、これは好評でした。スウェーデンのレズビアン映画 「ショー・ミー・ラヴ」も上映しました。オープニング作品は「ゴッド・アンド・モンスター」でした。

Q:原題の「ファッキング・アマル (Fucking Amal)」ではなく、「ショー・ミー・ラヴ(Show Me Love)」としたんですね。

A:「ショー・ミー・ラヴ」にしなければならなかったのは、映画祭の会場であるアート・センターが "fucking" という言葉を嫌がったためです。それにこの言葉を好きではない人々、"fuck" をするのが好きではない人々、行為自体はするけれども口にするのははばかれるという人がたくさんいるからです。

ほかにもこんなことがありました。エイズについて考える日を設けてエイズ関連の映画を上映しました。そういうポスターも展示していて、海外のポスターの中に、裸の男性 2 人が抱き合っているものがありました。するとどうなったと思います? アート・センターにこんな電話が何本もかかってきたんです。
「あんなポスターを貼るなんてどういう神経してるんだ。子供だってあの前を通るんだぞ。あれでいったい何を訴えているつもりなんだ」
アート・センターから、抗議のあったポスターを仕切りで隠すように言われて私は答えました。
「待ってください。これはゲイとレズビアンの映画祭です。クローゼットに隠すようにこそこそする気は絶対にありません」
まだまだ道のりは険しい。

オープニングには「ボーイズ・ドント・クライ」を考えていたのですが、同性愛映画のレッテルを貼られたくないと配給元に断られました。まったくばかげた話です。「ボーイズ〜」は同性愛嫌悪者 (ホモフォビア) に関する映画なのに、配給元はまさに同性愛嫌悪を助長するようなまねをしたんですから。




July 2000
Original interview in English by Ed Miyamoto.