「男生女相」
關錦鵬(スタンリー・クワン)監督インタビュー

第9回映画祭で上映される「男生女相」の監督で、「ホールド・ ユー・タイト」が、9月に劇場公開予定の關錦鵬(スタンリー・クワン)監督 に、「男生女相」の製作背景について、お話を伺いました。このインタビュー は、今年の7月10日に映画祭が行ったものです。


Q:「男生女相」というタイトルの意味について教えて下さい。

A:「男生女相」とは、「男として生まれてきたけれども女性の『「相(要素)』を持っている」という意味です。従ってその逆の「女生男相」という言い方もあり得ます。いわゆるジェンダー(性)という問題を扱うときにこの表現を使うことで、「同性愛」よりも広い範囲を含むことができます。観客はこのタイトルを見て、「いったい何なの?」と興味をひかれるでしょう。


Q:「娘娘腔(女っぽく振る舞う男)」と比べて、むしろMTFトランスセクシャルに近い意味として使っているのですか?

A:「娘娘腔(女っぽく振る舞う男)」やMTFとはまた別の「男生女相」というカテゴリが存在しうるとも考えられます。


Q:「男生女相」が作られたのは96年ですがそれ以後、同性愛(ホモセクシャル)を扱った映画が数多く出てきています。關錦鵬(スタンリー・クワン)監督の「ホールド・ユー・タイト」や新作の「有時跳舞」もそうですし、王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の「ブエノスアイレス」、楊凡(ヨン・ファン)監督の「美少年の恋」、台湾では蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督の「Hole」。もしも今「男生女相」を撮られるのでしたら、これらの作品は「男生〜」のどの章に入りますか?

A:いつも思うのですが、一つの映画作品が世の中に生まれてくるときはただ生まれてくるのではありません。環境やタイミングといった条件が揃って初めて生まれてくるのです。

どうして96年にこのような映画を作ることになったのかといえば、ご存知のように96年は映画100周年という年だったのです。それが大きなきっかけとなって、イギリスの映画協会が一つのプロジェクトを企画しました。全世界12カ所のそれぞれ違った監督が純粋にパーソナル(個人的)な視点から、自分の暮らしている地区・国・周囲について撮るというプロジェクトです。ですが「今」はもうこういうタイミングはなく、きっかけもないので、こういうことはもうないのではないかと思います。

「96年は監督自身がカミング・アウトをしたかったので、プロジェクトを利用してこの映画を作った」と多くの人が言っています。事実は必ずしもそうではありません。私自身はこのプロジェクトを利用しなくともカミング・アウトをするチャンスはいくらでもありました。こういう映画を撮るというのは確かに重要ですが、あえてこのプログラムをカミング・アウトする機会に選んだかとなると、両者は全く別の次元の話です。他の機会で、他の場面で自分の性的な指向を表明することはいくらでも出来ます。ですからそういう話ではないと思います。

むしろ映画生誕100年ということで映画協会から依頼があったというタイミングがあり、当時の環境があり、それらを踏まえたうえで、このような角度から中国語映画の100年を描きたかったのです。ですから、もし今あるいは来年あたりにこのようなプロジェクトがまたあって、映画100周年について何かやろうかという話が出たとしても、この映画と同じ様なやり方はしないかもしれない。おそらく別の角度から新たな作品を作ることになるかと思います。


Q:アメリカの「セルロイド・クローゼット」と「男生女相」を比較すると、「セルロイド・クローゼット」は各時代の政治と映画の関係を強く示していたのですが、逆に「男生女相」の方はパーソナルな問題を扱っているように感じます。これについてどう思いますか?

A:政治と映画の問題についてですが、ここで香港映画界自体について少しお話しておいたほうがわかりやすいでしょう。香港映画界は大変コマーシャリズム(商業的)な部分を重視してきました。

ご存じのように、香港映画の中で政治をトピックスにする作品はきわめて少ないのです。これは、香港では映画の検閲制度があるため、政治的な問題を扱うと検閲にひっかるのではないかと心配しているからではないのです。むしろ、本当に商業映画が好きなんですね。いかにして金を儲けられる映画を作るかばかりが重要視されて、いわゆる商業映画至上というような特徴を持っているふしがあります。むしろ台湾映画や中国大陸の映画の方が、政治的なテーマを扱っている作品が多い。香港作品は本当に娯楽性を追求し、儲け中心の商業映画が主流となっていました。

当然、私自身もこのような環境の中で仕事をしているわけですし、政治的な問題にさして関心も持っていませんでした。また、作品を作る場合に政治的な問題をあまり意識していませんでした。ですので、政治と映画の関係を取り上げて描こうということは全く考えていなかったというのが一つの理由です。

もう一つの理由として、先ほど申し上げたようにイギリスの映画協会は、世界中の12の地域の監督に、あくまでも個人的な観点からローカルの映画をどういう風に見ているかについて表現してほしいと依頼しました。この要望が一つのポイントとなっています。

私はゲイですから、私自身が自分の性的指向にどう向かいあってきたか、中国語映画の中で同性愛がどう扱われてきたかという視点から今回の映画を作ったのです。この二つが理由となります。


Q:「男生女相」は香港映画に対してどのような影響を与えたのでしょうか?

A:香港映画にも「男生女相」よりも前に、陳可辛(ピーター・チャン)監督の「君さえいれば」のように、ホモセクシャルを取り上げている映画もあるのです。実は香港映画界はハリウッドでどのような映画が作られているか、ハリウッドの流行に非常に敏感だと思います。ですから、例えば「フィラデルフィア」みたいに、ハリウッド映画でもホモセクシャルをテーマとして描いた作品があり、しかも観客もその映画を受け入れているのを見て、香港でも受け入れられると認識して、陳可辛(ピーター・チャン)監督も似たようなタッチを取り入れたのです。彼の映画の中では曽志偉(エリック・ツァン)がゲイの役をやって、かなりの笑いを取りました。しかし、こういう形でホモセクシャルを描く場合、出発点そのものは純粋にコマーシャリズムなんですよね。いわゆる、こういう物を取り入れれば、笑いが取れる、受け入れられる。ウケれば興行収入が上がるだろうと。つまり、商業的なアプローチでこういったトピックスを取り上げているのです。決して、ホモセクシャルを正しく描こうとしているわけではないと思います。

従って「男生女相」が作られてすぐに香港映画の中でホモセクシャルが正しく描かれるようになったとは私はあえて言いたくないし、言えないと思う。王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の「ブエノスアイレス」、あるいは台湾の蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督の「愛情万歳」、あるいは李安(アン・リー)監督の「ウェディング・バンケット」は、いずれもこういったテーマを扱っています。少なくとも、今挙げた監督たちはゲイに対してより「オープン・マインド(open mind)」であり、非常に理解を示しています。ですからこのテーマを映画の中で取り上げてきたのですが、では、果たしてホモセクシャルというテーマがすべてなのかと言うと、話は違うと思います。

陳可辛(ピーター・チャン)監督が描いたような、ちょっと差別的な、あるいは歪曲というと言い過ぎになるかもしれませんが、要はひねくれた表現に比べれば、彼らはホモセクシャルという要素をちゃんと扱っています。ですが、例えば王家衛(ウォン・カーウァイ)監督はよく言っています。「『ブエノスアイレス』は必ずしもホモセクシャルをテーマとした映画ではなく、むしろ二人の人間関係がテーマです。それは“男と男の関係”でもいいし、“男と女の関係”でもいい。あるいは“女と女”の関係としてセッティングすることもできます。ホモセクシャルであるかどうかということが意味を持つのではなく、むしろ二人の間の関係をどう描くかということが私にとっては重要です」。台湾の蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督もそうですけど、「こういうこと」を撮るために撮るのではなく、むしろ二人の間の関係、センシビリティーの部分をどう描いてくかということが、一つの重要な問題となっています。例えば、彼のデビュー作である「青春神話」の中で、若い男の子が年上の男性に対して好意を抱きます。一つの感情、大変センシティブな感情を抱いているのですが、性的な関係がどうのこうのというよりも、むしろ自分の兄貴、お兄さんみたいな年上の男性に対して憧れに近い感情を持っているのだと思います。

先ほども言いましたが、「男性女相」が香港映画界でこういう流れを作ったわけではありません。ですが、よりオープンな環境を作り出して、みなさんがこの問題を取り上げる議論のきっかけにはなったのではないかと思います。


Q:97年以降にプロデュースをするようになったのはどうしてですか?

A:近年、香港では、インディペンデント映画を撮る人が増えていますが、映画界の状況は大きく変わってきています。80年代を振り返ると、私たちがデビューした当時の香港映画界はまだ非常に良い時代でしたので、投資もたくさんあって経済的な条件がかなり良かったわけですね。

例えば当時映画を撮ろうとすると、大手映画会社のショウ・ブラザーズやゴールデン・ハーベストなどから「グリーン・ライト(緑の信号=ゴー・サイン)」がすぐに下り、早速映画作りに入ることができました。しかし、90年代になると経済状況も悪くなり、新人監督たち、ましてインディペンデント系の監督たちが映画を撮るのはなかなか難しくなりました。しかも、パーソナルなテーマの作品となるとなおさらです。

彼らは香港政府が返還後に作ったADCという部門から助成金を受けることもできますが、金額は非常に限られていますから、なかなか思うようには製作できないと思います。私自身はすでに映画界に入っていますし、せっかく能力も才能もあって映画を撮りたいのに、なかなかチャンスのない人をできるだけ支援していきたいと思っています。例えばいいストーリーがあればプロモーションをしてあげたり、資金調達がうまくいかなければ手助けをしたり。これは映画製作に携わる者として当然の義務であると私はいつも思っていますので、積極的に関わっていきたいと思います。


Q:新作についてお聞きしたいのですが、昨年の映画祭で来日した呉彦祖(ダニエル・ウー)にインタビューしたときに、「監督からオファーがあった」と聞きました。そのオファーとは、最近噂が流れていた張國榮(レスリー・チャン)と梅艶芳(アニタ・ムイ)主演の映画への出演依頼でしょうか。また、この作品には安藤政信も出演するそうですね。

A:同じではありません。呉彦祖(ダニエル・ウー)にオファーした映画は「去年天気」というタイトルで、共演は舒淇(スー・チー)です。本当は、日本も出資した新作である「有時跳舞」のクランク・アップ後に「去年天気」を撮りたかったのです。

けれども資金調達がうまくいっていないので、張國榮(レスリー・チャン)と梅艶芳(アニタ・ムイ)を主演にすえた「逆光風景」を撮ることにしました。脚本は、今度日本で公開される「ホールド・ユー・タイト」と同じく魏紹恩(ジミー・ガイ)です。安藤政信も出演します。

しかし、「去年天気」の製作を断念したわけではありません。「去年天気」は私にとって「ホールド・ユー・タイト」、「有時跳舞」に続くトリロジー・オブ・ホンコン(香港三部作)の最終作となりますので、他の作品を撮りながらタイミングなどを見て、いつかは必ず作ります。