芸術祭十月大歌舞伎・歌舞伎座(昼の部)

「蘆屋道満大内鑑」葛の葉
「妹背山婦女庭訓」吉野川

by 高市梅莟 (劇団フライングステージ)

 皆様ご存知だと思いますが、アタクシは大の「成駒屋」(ただし歌右衛門・芝翫のみ)ファンであります。歌右衛門は現在病気療養中で、高齢でもあるためほとんど引退同然でありますが、芝翫はまだ71歳(「まだ」って言っちゃうところが現代よね)で元気ですから、彼が出演するときは極力見に行くようにしています。その芝翫が「吉野川」の定高を演じるとあっては行かずばなるまい、ってなもんで、久しぶりに歌舞伎座へ行って参りました(9月も出演していたのですが、以前見たことのある演目でしかも昼の部の序開き、さらにはフライングステージの公演もあったのでパスしました)。

『蘆屋道満大内鑑』「葛の葉」

 平安時代朱雀帝の時代、白い虹が太陽を貫くという現象が起こったため、天文博士加茂保徳は弟子である蘆屋道満と安倍保名のいずれかに占わせようとした。保徳の養女榊の前は保名と恋仲にあり、陰陽道の秘書を保名に渡そうとするが、伯父の岩倉治部に秘書を盗まれ、榊の前はその責めを負って自害、保名は発狂しあてどなくさまよい歩き始める。そして信田の森で治部の家臣石川悪右衛門に襲われ、保名は深手を負う。生きる望みを失い自害しようとする保名は、榊の前の実の妹葛の葉姫に助けられるが、恋人の面影を持つ葛の葉と夫婦になって安倍野に移り住み、一人の男子童子を設ける。

 六年が過ぎたある日、信田庄司夫婦が保名を恋いわびる娘の葛の葉姫(福助)と共に保名の家を訪れる。驚いた保名(東蔵)は機屋をのぞくと、そこには女房の葛の葉(福助二役)がいる。とりあえず庄司の一行を物置に隠し、女房にこれから庄司夫婦が来ると告げると、葛の葉は特に変わる様子もない。保名は夕方まで一眠りと奥へ入る。[機屋の場]

 昼寝をしている童子に葛の葉は自分の本性を語り出す。自分は実は保名に助けられた信田の森の狐で、恩返しに傷の介抱をするうち、保名と夫婦となり子供まで設けた。本物の葛の葉姫が現れては身を退くより仕方がないとあきらめ、一間の障子に和歌を書き残して涙ながらに森へ帰っていく。すべてを察した保名は童子を抱えて信田の森へ向かう。[同奥座敷の場]

 菊の咲き乱れる野道を葛の葉は一人さびしく森へ向かう。そこへ悪右衛門の手先がやってくるので、葛の葉は妖術をつかって懲らしめる。[道行信田二人妻]

 信田の森に着いた保名・童子・庄司夫婦・葛の葉姫は来合わせた悪右衛門に襲われるが、葛の葉狐とその仲間たちがかけつけて悪右衛門を苦しめる。[稲荷社前の場]

 陰陽道の大家安倍晴明の出生に関する伝説をもとにした浄瑠璃で、享保十九年(一七三四)竹本座で初演、作者は竹田出雲です。全五段続きの長編ですが、現在では二段目の「小袖物狂」(保名が発狂し榊の前を求めてさまよい歩く所)が舞踊の「保名」に、そして芝居としては四段目にあたる安倍野機屋から道行もしくは稲荷社前までしか上演されません。従って先ほどあらすじで書きました発端の部分は、私が読者の皆様にわかりやすいように付け加えただけで、場面としては上演されないのです。またまた歌舞伎お得意の「わかっていること」扱いなわけ。観る側としては「そんなのわかんねーよ」なのですが、前段の筋を知らなくても観劇にはさほど支障ありません(確かに「あれは何?」と言いたくなる部分もあるのですが)。今回は「機屋」から「道行」までで、上演時間は75分。

 私がこの「葛の葉」を観るのは4回目です。最初は昭和61年6月歌舞伎座で、芝翫の葛の葉に藤十郎の保名。2回目は平成2年7月国立劇場で、藤十郎の葛の葉に橋之助の保名。3回目は平成8年3月歌舞伎座で、鴈治郎の葛の葉に宗十郎の保名でした。芝翫の時は珍しく稲荷社前までの上演で、最後は狐の奴姿に変わりましたが、他はいずれも道行まで。狐隈をとり高股立ち(股の部分まで素足を出します)で膝には三里宛をつけるという、通常の奴姿(舞踊「供奴」と同じ格好よ)にきれいな女形から変わるなんて、いかにも芝翫らしい。アタクシなら絶対に出来ないわ。記録を見ても終戦このかた稲荷社前まで出したのは芝翫だけ(しかもこのとき芝翫は初役でした)。真女形なら普通やらねえわよ。

 「異類通婚譚」って言うんでしたっけ、要するに人間と獣(歌舞伎では「畜生」と申します)の契りってやつよ。実は何とかの精だったとか、実は狐だったっていう設定は歌舞伎に多いのですが、その中でも特に有名なものです。ケレン味の多い芝居で、まず「機屋」では早替りがありますし、「奥座敷」では狐の通力を見せるため仕掛けで二枚折の屏風をとばしたり枝折戸が勝手に開いたり、また障子に和歌を書くところでは「曲書き」と言いまして、童子を抱えながら筆で大きく書くのですが、最初は右手で、次に左手でしかも裏書き(鏡文字のこと)、最後は口に筆をくわえて書くのです。道行の演出はいろいろあるのですが、福助はどうも鴈治郎のやり方を踏襲しているらしい。スッポンでせり上がると「狐口」のつくり物をくわえてます。本舞台では衣装を引き抜くと狐の着ぐるみ(先日の「ひまわり」で犬のモグが着ていたみたいなもの)になり、最後は宙乗りをします。そういう意味でも昔から大歌舞伎ばかりでなく小芝居でもさかんに上演されたわけ。でもこの芝居は決してケレン芝居ではありません。ケレンに重点を置くと水っぽくなります。やはり眼目は親子・夫婦の情愛と畜生の悲しさでしょう。そこをいかに見せるかが役者の仕所で、観客を感動させることができなければ失格ね。

 福助はよくやっていたと思います。本人もこの芝居が好きなようですし、また彼に合っている役だと思います。「機屋」は早替りを見せるだけの何と言うこともない場面なのですが、勝負は「奥座敷」です。ここではっきりと別れのつらさ・哀しさを、しかもしっとりと見せておかなければならない。ここは今まで見た中では鴈治郎が傑出しています。福助もなかなかの力演でしたが、「しっとり」とまではいかなかったなあ。それに親子の別れはいいにしても、夫婦の別れが福助の場合どっかに行っちゃっててねえ。まあ、相手が東蔵さんでは感情移入も出来んでしょう。どうしてこういうキャスティングをするのか、松竹の考えはわかりませんね。何事もバランスというものがありまして(それは後で書く「吉野川」にも言えることですが)、40になるとは言えそれなりに若妻として違和感のない福助に、60を越えた、どう見ても女が惚れそうにもない東蔵をあてがうのか。ああようわからん。

 奥座敷の障子に書く和歌は「恋しくばたづね来てみよ和泉なる 信田の森のうらみ葛の葉」という有名な歌なのですが、とにかく福助は字がきたない。なんじゃあれは。歌舞伎役者のたしなみとして書道くらいはやっておいてほしい。芝翫だって鴈治郎だって達筆でした。昔の役者の写真を見てもそれはそれは美しい。書の美しさも芝居が生む感動の一部でしょうに。まったくもう、プン!

 道行は瑠璃燈を天井から吊り下げる古風な演出で嬉しかったのですが、出来はよくなかった。ただの踊りになってしまっていて全く感動しない。私が見た中では芝翫が一番。芝翫の時は後に稲荷社前が付いた都合であっさりと終わってしまったのですが、本当にしみじみとしたさびしさが描かれていた。いつかはこういう日がやってくるとわかってはいても、単に自分が狐だというだけで夫と子を後に残し、たった一人で森へ帰らなければならない。芝翫の道行は本当に寂しく悲しそうでした。鴈治郎と福助はどうも引き抜いた後の方に神経が集中してしまっているが、この前半部分の「さみしさ」を強烈に見せることが歌舞伎に現代性を持たせる要素なのですから、ここを頑張ってくれないと。ただ芝翫の時は文楽座連中(文楽の大夫・三味線のこと)の出演でしたから、その分有利でしたけれど。最近のあんなどうしようもない竹本では感動しろってほうが無理よね。まあ、福助さんにはお気の毒という所でしょうか。

 それから、スッポンからせり上がってくるときに「狐口」(鼻と口が突き出ていてヒゲが生えている)をくわえるのはやめたほうがよろしい。お客は葛の葉が狐だということはもうわかっているわけだし、口に気を取られて芝居の方に客の神経が行かなくなるからです。私にはただのつまらん小細工にしか見えません。

 最後宙乗りで幕にするのはいいにしても(鴈治郎は二段でした)、奴6人は出しすぎだろうよ。普通は2人なのです。なんであんなに出したのか謎だ。

『妹背山婦女庭訓』「吉野川」

 吉野川をはさんで、左側には大和国妹山を治める太宰少弐家の下館、右側には紀伊国背山を支配する大判事家の下館がある。両家は代々仲違いの間柄であるが、太宰の娘雛鳥(玉三郎)と大判事の子息久我之助(染五郎)は恋仲で、親同士の不和ゆえ、また船での渡航は禁じられているために、互いに会うことも出来ない身の上を嘆いている。

 そこへ雛鳥の母親である太宰後室定高(芝翫)と大判事清澄(幸四郎)が蘇我入鹿から難題をつきつけられて帰ってくる。謀反を犯して帝位についた入鹿は、天智帝の愛妾釆女の局に横恋慕し、入鹿が内裏に乱入して以来行方不明である局の居所を付き人だった久我之助が知らないはずはないと考え、久我之助を自分に出仕させよと大判事に命令した。また定高には、久我之助と密通している雛鳥をその身の証に入内させよと命じたのである。そして承知の時は合図として桜の枝を川に流すよう指示する。

 定高は娘に久我之助が助けたければ入内するようすすめ、雛鳥は泣く泣く承知。大判事は息子の行いを褒め、入鹿は局の詮議のために出仕させるのだからと言って、久我之助に暗に切腹を勧める。

 心乱れた雛鳥は、雛祭りに飾ってある雛壇から女雛を取り上げ袖で打つ。すると女雛の首がもげ落ち、それを見た定高は本当はそのように娘の首を打って差し出す所存だと本心を打ち明ける。雛鳥は心から喜んで、母親に首を打たれるのを承知する。

 一方久我之助は、自分の自害を知ったら雛鳥も後を追うだろうから切腹のことはしばらく伏せておいてくれと大判事に頼み、切腹する。大判事は桜の枝を川に流す。

 それを見た雛鳥は久我之助の無事を喜び、定高に首を打たれる。定高は桜の枝を川に流す。妹山の不穏な様子に大判事が障子を開けると、雛鳥はすでに絶命したことを知る。定高は背山で久我之助が切腹したことを知り、互いに愕然とする。久我之助が息のある内にせめて娘の嫁入りをさせたい定高は、雛壇の飾りを嫁入り道具に見立て、娘の首とともに川へ流す。大判事はそれらをすくい取り、久我之助に雛鳥の首を見せた後、息子の首をはねる。

 『妹背山婦女庭訓』については以前FS通信で全段のあらすじを紹介したことがありますので、今回は「吉野川」だけにしぼりました。読んでいただければおわかりのように、何の救いもない悲しい悲しいお話です。登場人物はたった4人で場面転換はなく、しかも上演時間は120分。非常に歌舞伎らしい演目ではあるのですが、とにかくドッシリと重く息が抜けるところが全くない。歌舞伎が初めてという方にはとてもおすすめできません。グッタリ疲れて歌舞伎が嫌いになるか、2時間前後不覚に寝るかのいずれかでしょう。

 上演頻度の低い芝居で、平均して2,3年に一度、出ないときだと5年くらい間隔が空きます。原因はと申しますと、まず先ほども言いましたように、通好みの演目で集客力のある芝居ではない。次に、登場人物4人に腕の立つ役者が揃わないと出せない。雛鳥と久我之助は若者ですが、だからと言って若い役者で勤まるというものではないのです。大判事と定高の出まで四十分あるのですが、この四十分間を持たせなければならないのですから。さらに、これが一番大きな原因だと思いますが、定高は歌右衛門の持ち役だったのです。昭和35年に歌右衛門が初演してから、最後になった平成3年まで、歌右衛門以外が定高を勤めたことはほとんどないし、歌右衛門以外ではお客が納得しなかった。それほど彼の定高は良かったということ。それに合わせて座組も決まりますから、大判事は白鸚か松緑か十三世仁左衛門、雛鳥は芝翫か松江、久我之助は梅幸か延若か福助(現梅玉)という固定メンバーで、他の役者が入り込むスキがありませんでした。

 私はこの「吉野川」は今まで2回見ています。最初は昭和63年5月の歌舞伎座で、歌右衛門の定高・吉右衛門の大判事・福助(現梅玉)の久我之助・松江の雛鳥でした。二度目は平成3年4月歌舞伎座で、鴈治郎の久我之助以外は同じ顔ぶれ。あとビデオで2回、昭和45年10月の歌舞伎座(歌右衛門の定高・白鸚の大判事・延若の久我之助・芝翫の雛鳥)と平成8年11月の国立劇場(鴈治郎の定高・幸四郎の大判事・時蔵の久我之助・芝雀の雛鳥)を見ています。やはり目に残っているのは歌右衛門の定高ですね。鴈治郎のイキの方が本行(つまり文楽)に近いと思いますが、歌右衛門に慣れてしまった私には物足りない感じがしました。

 舞台は上手背山に大判事の館、下手妹山には太宰館を組み、真ん中には吉野川の大道具をしつらえ、背景には満面の桜の書割、片方ずつ障子を開け閉めしながら芝居が進んでいくという仕組み。花道は2本あり、本花道から定高、仮花道からは大判事が出てきます。床(義太夫の太夫・三味線)も妹山・背山の2組に分かれているという、演出的にもかなり特殊な演目と言えましょう。ただこれは本行通りで、歌右衛門は「定高は本花道から出るお役です」とか何とか言って、定高が非常に大役であることを力説しておりますが、文楽には花道がないわけですから、別に「本花道から出るお役」もへったくれもない。大判事も定高も等しく大きな役ですよ。

 最初の四十分は雛鳥と久我之助の芝居なのですが、これが玉三郎と染五郎なんだなあ。玉三郎としては将来定高がやりたいのでしょう、だから今のうちに雛鳥に出て勉強しておきたいという心づもりなんだと思います(歌右衛門は玉三郎を嫌っておりましたので、今までやる機会がありませんでした)。染五郎はきっと幸四郎が選んだのね。とにかく幸四郎は自分の芝居に身内を使いたがる。『アマデウス』では江守さんを押しのけて染五郎を使いましたし、松たか子だって松本紀保だってあんな大舞台に出られるほどの実力もないのに出ているでしょ。まったくこの人の「七光り攻撃」はいいかげんにしてもらいたい。だから幸四郎は嫌いなのよっ!

 まあそんなことはどうでもよいのですが、いくら何でもバランスっていうものがあると思うんですよ。実際の舞台ではさほど違和感もなかったのですが、それにしてもねえ。玉三郎の雛鳥ならせめて時蔵、出来れば團十郎の久我之助がいいし、染五郎の久我之助なら孝太郎の雛鳥くらいが適当です。どんな演劇でもそうですが、ベテランの役者同士がバラバラな芝居をやっているよりも、若手の役者たちが息を合わせてやっている芝居の方が、たとえ力では劣っていても数倍いいものです。それほどアンサンブルって大事だと思うのですけれど。そういうことって歌舞伎は考えないのよね。

 さて、玉三郎の雛鳥。容姿が衰えたとはいえ、やはりこの人はきれいですし、絵になると思います。でも雛鳥って「清楚な美しさ」が必要な役なんですよ。玉三郎だとどうしても「なまめかしい美しさ」になってしまう。体のラインやその使い方が、なまめかしさを出すように出来ているんですね。だからお姫様より芸者にこそこの人の本領がある。神妙にやっていましたけど、やはりこういう役には向いていません。ただ、脇息に左肘をのせて、そっちに重心をかけて座るのはやめたほうがよろしい。どう見ても『天守物語』の亀姫でしたわよ。脇息には手を掛けるだけにしないと。それから「ご後室様のお入り」の声の後侍女に手を引かれてひっこむとき、久我之助に後ろ髪引かれる想いなのはよくわかりますが、ああまで体をくねらせて障子内に入るのもやめるべき。まるで人買いに連れられるがごとし。

 ついでに侍女をやっていた役者について。桔梗と小菊という腰元が出るのですが、一人はきれいに、一人は立役の役者が頬を赤く塗って出るというチャリがかった扮装にするのが決まりなのです。ただ、これは後の場である「御殿」に出てくる「いじめの官女」とはわけが違います。後者はできるだけ男丸出しの化粧に太い声、絶対に女形らしくふるまってはいけないもの。ところがこの小菊という腰元はブサイクな扮装をしているだけで、やることはしっかり女形なのです。つまり笑いをとろうとしたりしてはいけないわけ。今回は錦吾さんという幸四郎のお弟子さんだったのですが、それがわかっていたのかしら。いくら一服の清涼剤とは言っても、この芝居で吉本的な笑いが来ては困るのです。脇の人の演技指導に目が届かなくなっていますね。

 染五郎の久我之助。やることはやっていましたが、何も印象に残らない。釆女の局を隠し、ひとり閑居して世の成り行きを眺めているという性根のすわった若者だけど、雛鳥と言葉を交わすときには恋をする初々しい少年に戻る、という結構難しい役なのです。その色分けがまったくなく、ただ神妙に演技をしているだけ。色気も凛々しさも感じられませんでした。清潔感だけはあったかな。

 さて大判事と定高の出。「花を歩めどもののふの心の嶮岨」の浄瑠璃で出てくるのですが、ここ大好きなんですよ。本花道の定高と仮花道の大判事が、客席を轟々と流れる吉野川に見立ててやりとりをする。交代交代にセリフを言う間に、「こだま」という鼓の音が入る。これぞ歌舞伎!って感じかな。またセリフがいいんですよね。ちょっと引用しちゃお。

 定高「大判事様。お役目ご苦労に存じます」

 大判事「早かっし定高どの、御前を下がるも一時。参る所も一つなれども、この背山は身が領分。妹山はそこもとのご支配。川向かいの喧嘩とやら、睨み合って日を送るこの年月。心解けるか解けぬかは、今日の役目の落去次第。二つ一つの勅命。うろたえた裁き召さるるな」

 定高「仰せの通り、入鹿様のご諚意は、お互いに子供の身の上。請け合っては帰りながら、身腹分けても心は別々。もしあっと申さぬ時は、お前にはどうしょうと思し召す」

 大判事「サテしれた事。御前で承った通り、首打ち放す分のことさ。不所存な倅はあって益なく、無うて事欠かず。身の内の腐りはそいで捨つるが後の養生。畢竟親の子のと名をつけるは人間の私。天地から見るときは同じ世界に湧いた虫。別に不憫とは存じ申さぬ」

 定高「ハテきつい思し切り。私はまた、いこう料簡が違います。女子の未練な心からは、我が子が可愛うてなりませぬ。その代わりに、お前のご子息様のことは真実何とも存じませぬ。ただ大切なはこちの娘。忝ない入鹿様のお声のかかった身の幸い。たとえどう申そうと、母が勧めて入内させ、お后様と多くの人に敬いかしづかそうと思えば、このような嬉しいことはござりませぬ。ホホホホホ」

 大判事「してまた得心せぬときは」

 定高「ハテそりゃもう是非に及ばぬ。枝振り悪い桜木は切って接ぎ木をいたさねば、太宰の家が立ちませぬ」

 大判事「ヲヲそうなくては叶うまい。この方の倅とても得心すれば身の出世。栄華を咲かすこの一枝、川へ流すが報せの返答。盛りながらに流るるは吉左右、花を散らして枝ばかり流るるならば、倅が絶命と思われよ」
 
 定高「いかにも。この方もこの一枝、娘の命活け花を散らさぬように致しましょ
う」

 大判事「ヲヲサ、今一時がたがいの瀬越し」(浄瑠璃)この国境は生死の境「返答の善悪によって、遺恨に遺恨を重ぬるか」

 定高「サアこれまでの意趣を流して、なか吉野川と落ち合うか」

 大判事「まずそれまでは双方の領分」

 定高「お裁きを待っております」

 結局ほとんど引用してしまった。活字ではよくわからないかもしれませんが、これ舞台で聞いていると泣けるくらいいいんです。「歌舞伎見てよかった」としみじみ思えるのよ。特に歌右衛門の定高の立派さと言ったらもう筆舌に尽くしがたいものでしたね。

 幸四郎の大判事ですが、やたら声を震わせるものだから、時々何を言っているのかわからない。芝翫は太宰の後室という位取りはあるのですが、川の向こうにいる人に声をかけているという技巧が見えてしまってやや興醒め、というところでしょうか。

 この二人が本舞台の屋体に上がってから本格的に芝居が始まるのですが、なんか芝居がサラサラしていて感動しなかったなあ。この芝居は、双方の親が相手の子供だけは助けたいと思っていながら、結局二人とも死んでしまうところがポイントなんです。大判事は武士道に生きる男、久我之助の切腹までは頑固で決して肚をあかさない、線の太い役。定高には「不所存な倅はあって益なく、無うて事欠かず」などと強いことは言っていても、息子を自分の手で切腹させることに苦悩し、また雛鳥は助けようと思っている。定高は女ながらも太宰家を統率する強い女性。大判事には「枝振り悪い桜木は切って接ぎ木をいたさねば太宰の家が立ちませぬ」とは言っても、雛鳥には貞女の操を立てさせるため泣く泣く自害させ、久我之助は助けるつもりでいる。それが二人とも裏目に出るわけ。

 幸四郎は最初から泣きすぎなんですよね。硬骨なところをしっかり見せておかないと後が立たない。切腹を決めるときに「いかめしく横たえし大小、倅が首切る刀とは五十年来知らざりし」のところであんなに声が震えていいものでしょうか。大義のために私情を殺す、涙を抑えて心で泣くという演技がないと、逆にお客は感動しないものです。

 妹山の方ですが、芝翫の演技は非常に技巧的で説明的です。舞踊をやらせるとより一層顕著ですね。ビデオにとった芝翫の踊りはどこで一時停止しても形がきれいで、本当にお手本になるのですが、三味線の一間一間にきちんと当てて踊っている分だけ色気やおもしろみには欠けるのですわ。だから気持ちを肚でぐっと抑えて、それを外ににじませるという演技、つまり「コクのある」演技にはならないわけ。段取りをきちんと決め、それを顔の表情や体の動きで表現していくのはいいのですが、それがやや過多で、どうも世話じみた芝居になってしまう。ところが、言うなれば「背筋がピシッと伸びた」演技ですから、位取りや大きさはある。だから世話狂言をやると今度はどことなく時代がかってしまうのです。演技の段取りより、雛鳥との心の通い合い、我が子を手に掛けなければならない母親の悲哀みたいなものがもっと前面に出てくれるとよかったんですけれど。例によって玉三郎のセリフが芝翫に全くかかっていませんでしたから、なおさら母子の情愛が出ておりません。

 歌右衛門のときは感動でした。「腰元ども、その一式残らず川へ流れ灌頂」のセリフの後、雛道具を川へ流し始めるのですが、雛鳥の首を抱えた定高が流れていく雛道具をじっと見つめるという、何と言うこともないシーンがあります。ここで私は泣きましたね。歌舞伎を見て涙が出たのはこれと『盲目物語』のラストだけです。こういう何でもないシーンで感動させてくれる役者はもういません。

 定高に首を打たれる前、雛鳥はカツラを吹輪から下げ髪にし変えるのですが、玉三郎は衣装も白に変えていました。入内の心を表すために白無垢に着替えるというのは昔からあった型だそうですが、まるで忠臣蔵九段目の小浪のよう。別に白無垢姿を誰に見せるわけでもなく、実際入内はしないのだから、あまり必然性が感じられませんし、そうなると打った後の雛鳥の首を当然白の袖にくるむことになる。ということは最後に大判事が二人の子供の首を抱えるとき、二つとも白い布にくるまれていることになりますが、茶の熨斗目の裃を着た大判事が赤い布と白い布にくるまれた首を持つのが色彩的にいいわけ。さらに、玉三郎は夜の部で「鷺娘」を出しています。鷺娘は最初白無垢ですから、それとついてしまう。玉三郎は芝翫にすすめられて衣装を変えたと言っていますが、そのへんの所をもう少し考えてもらいたかったです。

 妙にテンポばかり良い「吉野川」で、あっさり終わってしまったことに違和感を覚えつつ、歌舞伎座を後にしました。(10月11日所見)

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