郊外のブッダ  The Buddha of Suburbia
ハニフ・クレイシ著  古賀林 幸訳  中央公論社刊


 映画「マイ・ビューティフル・ランドレット」のおもしろい点は、現代のイギリス社会における階級差、人種差別、同性愛という要素を内包しながらも、それらを声高に主張するわけでも、また悲壮感を強調したメロドラマにすることでもなく、あくまでそれらを日常生活の一部として捉えたうえで、自然に描くことにより、その本質をより明確に浮かび上がらせたことだろうか。

 その「マイ・ビューティフル・ランドレット」の脚本を担当していたハニフ・クレイシの処女長編小説「郊外のブッダ」も同じような視点で描かれているが、今回はパキスタン系イギリス人としてのアイデンティティがより濃厚に表われ、「マイ・ビューティフル・ランドレット」以上に深奥な世界が重層的に描かれ、滑稽でありながら、その裏には毒の含んだ物語が展開されている。
 
ロンドン郊外に住むパキスタン系イギリス人カリムは俳優になりたいという潜在的な願望を持ちつつも、未だ自分の将来への明確なビジョンを持てずにいる夢見がちな高校生だ。ヒンズー教徒でありながら仏教に熱心な父は母を捨て、愛人のエヴァと再婚する。エヴァの息子のチャーリーはカリムのクラスメートで学校一人気のあるアマチュアミュージシャンで後に大スターになる。叔父のアムワルは慣習的な考えの持ち主で、娘のジャミラをインド人と結婚させようとする。ジャミラは渋々承諾するも、インドから連れてきた新郎チャンゲスは無能な男で、日本人売春婦シンコと恋仲になり義父を激怒させる。そうしたなかカリムはふとしたきっかけで芝居の世界に足を踏みいれ、周りの予想に反し成功を収める。

 「女の子だけじゃなく、男とも寝たいなんて異常だとは分かっていた。(略)どちらか一方を選ばなきゃならないなら、ビートルズかローリング・ストーンズかどちらか選べと言われたみたいに心が痛むと思った」

 主人公のカリムはバイセクシャルでセックスには奔放だ。そして、この若いカリムの目を通してイギリス社会の様々な断片が皮肉まじりに、滑稽に描かれていく。慣習的な考えに縛られている親とイギリス人として育ってしまった世代とのギャップ。イギリス国内における有色人種の存在。社会階級の相違による軋轢。そうした社会の現実を演劇の世界に足を踏みいれた途端強く実感する。その端的な例が、インド人のステレオタイプを演じる羽目になる時だ。自分に忠実に演じれば、白人からはイメージするインド人ではない、と跳ねつけられ、滑稽なインド人を演じれば同胞からは批判される。

 「それにむかついたわさ。あのなまりに、あんたが体中に塗りたくってた汚いドーラン。あんたは偏見におもねていたのよ。それからインド人に対する陳腐な考え。それからあのなまり。よくもまあ、あんなことができたもんね」

 「あなたが描いて見せたのは、あたしたちに対する白人の既成概念だね。滑稽で、奇妙な習慣や珍奇な慣習を持っているっていう。白人にとって、あたしたちはすでに人間以下の人間なのよ」

 しかし、その「道化」を演じることで大成功を収め、新鋭の演出家に認められ、ニューヨークに渡る。その過程で新しい考え、価値観にふれる。それは、ロンドン郊外に住む労働者階級の少年からは想像もつかないような世界だったが・・・。

 解説によると、クレイシはイギリス文壇内で「トラブルメーカー」や「テロリスト」と呼ばれているらしいが、小説としてはきわめてオーソドックスで古典的な「教養物語」が展開される。それはさながらディケンズやバルザックの小説のように、様々な人間が現れ、絡み合い、主人公に影響を与えていく。しかし、そうした古典的な枠組みの中で、より現代性を感じさせる点といえば、イギリスにおける移民の子供としての視点で描かれていることだろうか。親の世代の持つ慣習的な考えには馴染めず、イギリス人であろうとすれば、人種差別に直面する。そうしたどこの世界にも属せない中ぶらりんな視点から、実に辛辣にイギリス社会の断片がえぐりだされていく。しかし、そうした事柄を「社会派」のように描くのではなく、ユーモアと痛烈な皮肉を折り混ぜ、淡々と描き出す。そして、そうした静寂の裏には激しい情熱と怒りが隠されている。

 ボウイ、クラプトン、パンクロックの台頭、フリーセックス、ドラッグなど70年代後半のイギリスの音楽、風俗、そして労働党の凋落と保守派の台頭という政治事情など、時代性を濃厚に反映しつつも、今という時代に対し切りかかる鋭い刃としての力も持ち合わせている。今までにない視点と豊かな文章で築かれた、新しい作家の出現なのだ。

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