不安と魂 Angst essen Seele auf
(1974年/旧西ドイツ/93分)

【監督・脚本・美術】 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
【撮影】 ユルゲン・ユルゲン
【照明】 エケハルト・ハインリヒ
【編集】 テーア・アイメス
【出演】 ブリギッテ・ミーラ/エル・ヘディ・ベン・サレム/イルム・ヘルマン
カール・シャイト/ペーター・ガウエ/ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが1973年に撮った作品。日本でファスビンダーというと、そのハードゲイ的(?)な風貌と、遺作「ケレル」ばかりに注目が集まっているかもしれないけれど、実際に同性愛を扱った作品はごく少数で、その大半が高度経済成長下のドイツ社会を舞台に、しかしそうした繁栄とは無縁な、社会の周縁に生きる人々の姿を丹念に描いていった映画作家だったのだ。その中でも「不安と魂」は最高峰の1本だと思う。

 夫とは死別し、子供たちもみな独り立ちし、掃除婦をしながら暮らす中年女性エミが、あるときモロッコ人労働者アリと出会う。初めは警戒していたが、次第に打ち解けるようになり、お互い孤独の身であった二人は急速に親しくなる。

 しかし、年齢差のあるモロッコ人の男と付き合うことを快く思わない人も多く、同じ掃除婦仲間は彼女をのけ者にし、常連の食料品屋は冷たく応対するなど、近所の人たちは彼女を避け始め、街でも奇異の目で見られるようになる。そして、子供たちを集めて、アリとの婚約を発表すると、彼らに絶縁を申し渡される。

 そうした周囲の偏見に負けず暮らしていく2人だが、年齢差もあれば、慣習なども異なる2人の関係は次第に隔たりが出てくるようになる。暫くして二人の関係は元に戻るが、今度はアリが仕事中に倒れ、医師から胃癌のため余命いくばくもないことを知らされる・・・・。

 白人の中年女性とモロッコ人の男、という設定を除いたら、これは典型的なメロドラマだろう。ファスビンダーはダグラス・サークを信奉していたので、彼から影響を受けたのかもしれないが。

 しかし、この映画が普通のメロドラマと一線を画しているのは、ファスビンダーの社会や人間に対する視点ではないだろうか。

 僕はこの映画を4回ぐらい観ているが、何度観ても感動するのは、ドラマとしてよく出来ている、とか、社会問題を的確に捉えている、というだけではないだろう。もちろんそうした点も素晴しいが、それ以上にこの映画の中では異端なものを排除する不寛容な精神、孤独、そして愛情への飢え、という、人間の持つ普遍的な感情が丹念に描きだされていたからなのではないか。

  また「外国人労働者」という「社会性」のある題材を扱いながらも、一つのドラマとして成立している点も見事だ。

 今までも、「反戦」「反差別」など社会性のある題材を扱った映画作品は多く存在したが、その大半はそうしたメッセージを声高に主張するだけで、映画としては貧弱な作品も多かった。そうしたなか、この「不安と魂」は、社会性のある題材を扱いつつも、見事に一本の優れたドラマとして昇華させている。

 この中でもう一つ面白い点として挙げられるのが、男が有色人種、女が白人として描かれている点だろう。今なおハリウッド映画を筆頭に男=白人、女=有色人種、という「マダム・バタフライ」的な図式が強固ななか、20年以上前にそうした関係を逆転させてしまったファスビンダーの視点は面白い。

 この作品と同様の主題を扱ったものとして、ファスビンダーの初期の作品に当る「出稼ぎ野郎」がある。これは、ドイツ語の不得意なギリシャ移民の青年が、周りの偏見によりレイプ犯にされていく過程を描いた佳作だが、この「不安と魂」の方が、主題の扱い方、作品の完成度としては遥かに上だろう。

 これは残酷な寓話かもしれない。しかし、かつてジョナサン・スウィフトが「ガリバー旅行記」のなかで、人間の愚かしさを強烈な皮肉を込めて描いたのと同様に、この映画の中にも人間の暗部をえぐりだす鋭さと厳しい視点がある。

                             北条貴志

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