肉体の学校 L'ecole de la chair
(1998年/フランス/105分)

【監督】 ブノワ・ジャコー
【脚本】 ジャック・フィエスキ
【原作】 三島由紀夫
【撮影】 カロリーヌ・シャンプティエ
【美術】 カティア・ヴィズコップ
【出演】 イザベル・ユペール/ヴァンサン・マルティネス/ヴァンサン・ランドン

肉体の学校

 パリのファッション業界で働くドミニクは地位もあり裕福な中年女性だ。ある日友人に連れられたゲイバーで、バイセクシャルの美青年カンタンと出会い、一遍で魅了されてしまう。ドミニクはカンタンを自分のアパートに住まわせ、モデルの仕事を紹介するなど、惜しみない援助をする。しかし、カンタンは束縛を嫌い、仲間たちと遊んだり、男相手の売春に走ったりする。そんなカンタンをつなぎとめたいドミニクは懸命になるのだが・・・。

 終戦直後の日本を舞台にしていた三島の原作を、現在のパリに舞台を移し変えた作品。日本料理屋でしゃぶしゃぶを食べたり、TVで空手や柔道の試合が中継されていたり、アツロ−・タヤマのブティックでパーティが開かれたり、と至るところで日本的なものが見え隠れするのは、原作が日本作品ゆえのオマージュなのだろか。しかし作品そのものは三島的や日本的というよりは、完全にジャコーの映画になっていると思う。

 ここでは同性愛というのは重要な題材ではなく、むしろ一種の「小道具」にしか過ぎない。主軸となるのはドミニクとカンタンの「恋愛関係の力学」だ。地位も経済力もある中年女性が貧しく粗野な若者に入れ込む、という、それほど珍しくもないシチュエーションを、ジャコーお得意の細やかで抑制された心理描写により、時として息苦しいほどに丹念に描かれていく。しかし、そこまで描写をしても、2人の関係というものが第三者である観客に対して全然伝わらないというのが難点。

 一番よくわからないのは、なぜドミニクがカンタンにあそこまで入れ込むのか?ということだ。凡庸な映画だったら、ドミニクの「孤独」とかそうした紋切型の「理由」を裏付けするのだろうけれど、この映画はそうした点は回避している。まあそれは賢明とも言えるのだけど、それにしては2人の関係を裏付けるものが弱すぎるかなと思える。

 確かにカンタンは美しく、野性的で男としての(表面的な)魅力は十分備えている。だけど、ドミニクのような女性があそこまでのめり込むほどの男なのか?という気もするし、映画としても説得力あるように描かれていないので、こちらとしては退屈な他人事のようにしか見えない。

 ジャコーの前作「第7天国」が、セックスレスになったカップルが催眠療法を受けたのを契機に、今までの夫婦関係が逆転していく様を、優雅に、そして機知に豊んだ描写で描きだしていたのに反し、こちらは2人の関係がただ単に重く息苦しいだけだ。

 イザベル・ユペールは抑制した演技で恋愛に夢中になっていく女性の姿を知的に演じていて素晴しい。「第7天国」での好演も記憶に新しいヴァンサン・ランドンは2人の関係を見つめるゲイの役として登場するが、役柄の書き込みが浅いからせっかくの資質も生かされてないように思う。カンタンを演じるヴァンサン・マルティネスは、「プロヴァンスの恋」でジュリエット・ビノシュと共演したオリヴィエ・マルティネスの弟だが、兄同様に端正な顔つきと野性的な雰囲気、そしてフォトジェニックな魅力があるが、芝居が全然できないので、ドミニクを狂わす「魔性」のようなものが全然表現できていない。まあ本当に美しい人ですけどね。

(北条貴志)

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