queer de pon
  301302 301302(1995)

監督:パク・チョルス
出演:パン・ウンジン、ファン・シネ

とあるマンション。過食症の301の女と、拒食症の302の女が向かい合わせに住 んでいる。ダイエットにいそしむ301は、モデル体型の302に嫉妬し、彼女を太 らせようと、毎日、豪華な差し入れをするが、拒食ぎみの302は、それを食べるこ とができない。お互いの事情を知った二人の間には、やがて奇妙な友情がうまれる。 最近、何かと話題な韓国映画の1本。

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…これって、びあん映画?
「301 302」。この映画の劇場公開時のチラシを見た時から観たくて観たくてしょうがなかった作品。いつの間にやら時は過ぎてしまったが、 今回のレビューがきっかけでやっと観ることができた。前回に引き続き 映画祭様に感謝。

まずは感想を一言。素晴らしい。「301号室:過食症の女、302号室 :拒食症の女」というコピーの通り、「食」で繋がる2人の悲しい女の物語。料理をすることでしか自分の存在価値を見出せない女とトラウマが原因で全てのことを拒否することしかできない女。
この2人はまるで動と静、生と死。正反対のようだけど、同じように孤独で不安定。ああ、共感してしまう。テーマは重ためなのにそれを感じさせないのはカメラアングルに色使い、小道具などがめちゃくちゃポップでオシャレなせい。(死語?)テンポも良い。そして次から次へと出てくる料理が最高にうまそう。私的には最後の一品までうまそうに見えた。そんな感じでテーマとは別 の部分が陽の方へとぐいぐい 引っ張ってくれるので、けっこう軽めに観れてしまう。
時々流れる音楽や全体の映像、脇役の使えなさそうな刑事などが昼間にぼんやりしてるとついうっかり見てしまう「サスペンス劇場」風なのも安心させる。
よく「食べること」と「SEX」は同じ土俵で語られるが、そこをうまく突いてきたり、狂気と正気の曖昧さを「女」で包むように描いてみたりして、とても良くできている脚本だと思います。役者もいい。302号室の女、好みです。(どーでもいい)ただ、最初の方に301号室の女の太り具合が不自然(何か入れてねーか?的な)に感じられる箇所が見受けられたが。
2人分の悲しみは1人分にすれば半分になる。とりあえず観て下さいな。 お気に入りの作品に仲間入り。…ところで、これって、びあん映画?

(iri)第9回映画祭「JAPANESE QUEER VIDEOS」にて、監督作品「chocolate」(2000)を上映 。


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ワタシは獣肉ファンタジーの持ち主である。いつの頃から始まったのか定かではな く、ピークはたぶんもう過ぎたのだとは思うけれど、一時期はガルーを食ったりワニ を食ったりしては喜んでいた。
中でも一番食べたいと思うのは(常に)クジラだ。これは同化願望のあらわれなのだと思う。クジラをはじめとした海洋性大型哺乳類になることは、ワタシの見果 てぬ夢 だからだ。
同化したくない生き物には食指が動かない。昆虫、サル、コウモリ、人間……おいしくなさそうだし。

301号室の住人、ソンヒにとって重要なのは「食べさせること」であって、「食べること」ではない。味覚から相手を支配していく。「だんだん難しくなる」というせりふからすると、同じ料理は二度と作らないのかもしれない。 常に新しい「魅力」でもって相手をつなぎ止めようとする、という言い方をすると健気なようだが、彼女は攻撃性に充ちていて独裁者のようだ。

一方の302号室、ユニは拒食症者で、幼い頃の性的虐待の記憶と 「食」が密接に結びついているがゆえに、固体液体を問わず一切の食物を受けつけな い。

そんなユニに対してソンヒは「70キロ(これはソンヒ自身が不幸な結婚生活の中で過食に陥った結果 いたった体重でもある)まで太らせてやる」と決心し、毎日美しい料理の一皿をユニに届ける。ユニは皿を受け取り、ドアを閉めた途端に料理をゴミ箱に 捨てる。 ソンヒの「好意」はユニには通じない。それはユニがソンヒを理解しないからではないだろう。むしろその一皿にあからさますぎるほどにソンヒの好意を―その裏側の支配欲を感じるからこそ吐き気を覚え、逃げ出さざるを得ないのだ。

自分の料理の行く末を知ったソンヒはユニに怒りをぶつけるが、ユニが食を拒否する理由を知ると、優しく言うのだ。「特別 に料理日記を付けて」食べられるようにしてあげる、と。もはやそれは攻撃性を失い、愛の行為となる。 しかし、優しさのオブラートにくるまれてはいても、ユニにはそれを受け入れることはできない。汚らわしく、生きている価値のない自分。そんな自分に向けられる愛情にも価値などあろうはずがないのだから。

そうしてソンヒは敗北する。支配することも、支配されることも拒否し続けたユニ は、望みもしない勝利を手に入れるのだ。 ソンヒは「食べさせる」ことを諦め、「食べる」側に回る。自分が作った料理をおいしそうに食べるユニの幻を見ながら、一人で食事をする。支配する側から、支配される側への転換。

一人きりになったソンヒは、もはやそれまでのソンヒではない。ユニのように髪を切 り、ユニのような服を着る。しかし彼女が「食」を憎むことはない。はじめて部屋を訪れた人間にさえ料理をふるまい、うまいと言われれば喜ぶ。 ソンヒであり、ユニでもある。映画の冒頭から登場する「一人きりのソンヒ」は、そういう存在なのだと、物語の終わりにワタシたちは気づく。 どちらがその同化を望んだのか、ワタシには分からない。拒否することしかできな かったユニでさえ、ソンヒと同化することを望んだのかもしれない。 これはそういう、愛の物語。幸せな結末と言えなくもない、物語であった。

(満月)


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(2001/3/18更新)
   
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