ワタシは獣肉ファンタジーの持ち主である。いつの頃から始まったのか定かではな
く、ピークはたぶんもう過ぎたのだとは思うけれど、一時期はガルーを食ったりワニ
を食ったりしては喜んでいた。
中でも一番食べたいと思うのは(常に)クジラだ。これは同化願望のあらわれなのだと思う。クジラをはじめとした海洋性大型哺乳類になることは、ワタシの見果
てぬ夢 だからだ。
同化したくない生き物には食指が動かない。昆虫、サル、コウモリ、人間……おいしくなさそうだし。
301号室の住人、ソンヒにとって重要なのは「食べさせること」であって、「食べること」ではない。味覚から相手を支配していく。「だんだん難しくなる」というせりふからすると、同じ料理は二度と作らないのかもしれない。
常に新しい「魅力」でもって相手をつなぎ止めようとする、という言い方をすると健気なようだが、彼女は攻撃性に充ちていて独裁者のようだ。
一方の302号室、ユニは拒食症者で、幼い頃の性的虐待の記憶と
「食」が密接に結びついているがゆえに、固体液体を問わず一切の食物を受けつけな
い。
そんなユニに対してソンヒは「70キロ(これはソンヒ自身が不幸な結婚生活の中で過食に陥った結果
いたった体重でもある)まで太らせてやる」と決心し、毎日美しい料理の一皿をユニに届ける。ユニは皿を受け取り、ドアを閉めた途端に料理をゴミ箱に
捨てる。 ソンヒの「好意」はユニには通じない。それはユニがソンヒを理解しないからではないだろう。むしろその一皿にあからさますぎるほどにソンヒの好意を―その裏側の支配欲を感じるからこそ吐き気を覚え、逃げ出さざるを得ないのだ。
自分の料理の行く末を知ったソンヒはユニに怒りをぶつけるが、ユニが食を拒否する理由を知ると、優しく言うのだ。「特別
に料理日記を付けて」食べられるようにしてあげる、と。もはやそれは攻撃性を失い、愛の行為となる。
しかし、優しさのオブラートにくるまれてはいても、ユニにはそれを受け入れることはできない。汚らわしく、生きている価値のない自分。そんな自分に向けられる愛情にも価値などあろうはずがないのだから。
そうしてソンヒは敗北する。支配することも、支配されることも拒否し続けたユニ
は、望みもしない勝利を手に入れるのだ。 ソンヒは「食べさせる」ことを諦め、「食べる」側に回る。自分が作った料理をおいしそうに食べるユニの幻を見ながら、一人で食事をする。支配する側から、支配される側への転換。
一人きりになったソンヒは、もはやそれまでのソンヒではない。ユニのように髪を切
り、ユニのような服を着る。しかし彼女が「食」を憎むことはない。はじめて部屋を訪れた人間にさえ料理をふるまい、うまいと言われれば喜ぶ。
ソンヒであり、ユニでもある。映画の冒頭から登場する「一人きりのソンヒ」は、そういう存在なのだと、物語の終わりにワタシたちは気づく。
どちらがその同化を望んだのか、ワタシには分からない。拒否することしかできな
かったユニでさえ、ソンヒと同化することを望んだのかもしれない。
これはそういう、愛の物語。幸せな結末と言えなくもない、物語であった。
(満月)
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