queer de pon
 
(2001/7/15更新)
「エイズの時代とクィア映画」

■ エイズの時代を生きる  

あなたはエイズを取り上げた映画の中に、何を見るだろう。愛と死? 友情? 宗 教性? 母と子?・・・。映画の製作者は、エイズを通して何を表現しようとしたのか。エイズをめぐって、人々は何を感じ、何を考えたのだろうか。僕にとって、そしてあなたにとって、あなたとその恋人にとって、エイズという病は何なのだろうか。 21世紀を迎えた現在、私たち人間は、エイズとの共存を余儀なくされている。エイズは、他者の問題ではなく自己の問題として、考えることを要求している。このコラ ムでは、エイズ患者がアメリカで最初に報告された1981年から、抗HIV薬の開発が進みHIV感染が慢性疾患的な要素を強めている2001年までを振り返りながら、 その中でいくつかのエイズを取り上げた映画を紹介しようと思う。  

エイズ前夜の1970年代、アメリカでは同性愛者たちが政治的にも大きな力を持ち始めた時代だった。この時代の「性革命」については、立花隆『アメリカ性革命報告』(文春文庫)に詳しい。特にサンフランシスコには全米各地から同性愛者が流れ込み、有権者の4人に1人が同性愛者であったと言われている。政治的に発言力を増していった同性愛者達は、サンフランシスコに初の同性愛者の市政執行委員ハーヴェイ・ミルクを誕生させる。しかし彼は後に暗殺され、同性愛者にとっての華やかだっ た時代に徐々に暗雲がたちこめ始めていた。(ランディ・シルツ『ゲイの市長と呼ばれた男』上・下、藤井留美訳、草思社)  

そして1981年、米国防疫センター(CDC)が5人のカリニ肺炎の患者を報告した。82年、CDCはエイズという名称を採用することになる。日本でも厚生省や製薬会社をめぐる一連の「薬害エイズ」問題が発生したが、アメリカではレーガン政府がエイズ発生当時にきちんとした対応を怠ったために、HIVが全米に広がり感染者 数が爆発的に増えていく。エイズ発生当初の科学者・政治家・ゲイコミュニティの動きを克明に描いたものに、『運命の瞬間−そしてエイズは蔓延した』というTV映画があ る。(同作品はランディ・シルツ『そしてエイズは蔓延した』上・下、曽田能宗訳、 草思社、を映画化したものである)  

エイズは発生当初、同性愛者の間で多くの感染者を出したため「ゲイのガン」などと呼ばれ、HIVが発見される前までには様々な噂ばかりが一人歩きしてしまい、エイズをめぐる悪い妄想がどんどん増殖していく。当時はまだ薬もなく、死に至る病という印象が非常に強かった。HIV感染者は、このようなエイズのイメージとも闘わなければならなくなる。特にエイズに与えられたイメージをラディカルに変えていこうとした団体として、ACT UP(力を解き放つためのエイズ連合)がある。
http://www.actupny.org  
彼らは行政とか立法府に対して直接行動をかけたり、デモを行ったりした。感染者自身によって作られたビデオやポスターなどもホームページで見ることが出来る。  
次項からは、このような歴史的背景の中で、具体的にどのような映画が作られていったのかを見ていこう。

■ 80年代のエイズ−人間関係を変えていく原動力  

1980年代は、現在のようなエイズ治療薬がまだ十分には開発されておらず、 HIV感染者たちはエイズという病と真っ向から闘うことになる。HIV感染者たちが闘ったのは、エイズという病そのものでもあったが、それにもまして彼らはエイズに課せられたイメージや差別 とも闘ったのであった。  

オスカー賞を受賞したトム・ハンクス主演の『フィラデルフィア』は、HIV感染によって職を追われた男性が、法廷の場で会社を訴え闘うというストーリーである。日本では、HIV感染による差別 は法律で禁じられているが、現にHIV感染が分かったことによって会社や学校などで差別 され職を追われるというケースが現実問題として起こっている。HIV感染者が自分の感染を真っ向から受け止め、自分の受けた不当な扱いに対して法廷で闘うとはどういうことなのか? エイズという病は、単なる病気なのではなく、政治的な力として社会を変革していく力を含み持っているという点は、注目に値するだろう。  

80年当初、まだ死に至る病というイメージの強かったエイズ。そのような状況の中で、感染者は自分たちのまわりの人間関係を大きく変えていくことになる。その典型的なものとして、母と子の関係が上げられる。『フォーエヴァー・ライフ』(TV)は、俳優として活躍していた息子がエイズを発症したために実家に帰ってきて、離れてしまっ た家族同士の絆を取り戻していくという話。息子の父は、結局病の息子との距離を最後まで縮めることができなかった。自然があふれるアメリカの一田舎で、晩秋の真っ赤な夕日とともに死んでいく主人公の姿が、見るものの心を打つ。母と子の関係を描いた映画として、その他に『君が眠るまえに』(TV)がある。サウンド・オブ・ミュージッ クのジュリー・アンドリュースが主演。息子の恋人がエイズを発症し、それをきっかけにして息子と母親が今までの不仲な関係を見直していくというストーリー展開になっ ている。この映画の特徴は、母親という視点からエイズを見るという構造になっており、その点が面 白い。  

エイズのもう一方の視点として、友情という切り口がある。『マイフレンド・フォーエヴァー』は、輸血によってHIVに感染した少年とその友達の友情の話。『カーテン コール』は、ゲイのバレエダンサーがHIVに感染し、エイズが発症して立てなくなっ ても、命の限り踊り続けるという話。様々な人々が、最後まで彼のことを支えてくれ る。  

このように見ると、エイズという病は今までの固定化された人間関係というものをラディカルに変化させていくという力をもったものだったと言えるだろう。特にエイズを取り上げたアメリカ映画は、そのような人間関係の変化というものをはっきりとスクリーンの中に見ることができる。アメリカのエイズ・アクティビズムについての 大きな流れを紹介した本に、田崎英明編『エイズなんてこわくない』(河出書房新社) があるので、興味のある方は一読してみてはどうだろう。

■ フランスと日本のエイズ  

フランスでも、エイズをめぐっての様々なドラマがあった。エイズのウイルスHIV が発見されるまでにも、フランスとアメリカはどちらが早く免疫不全の原因を突き止めることができるのかで互いに競争しあい、科学者集団の中で激しい論争があった。 アメリカ人のロバート・ギャロとフランス人のリュック・モンタニエの論争である。 1984年のことであった。この年、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが死ぬ 。 彼もエイズだった。このフーコーの恋人であったエルヴェ・ギベールという作家が、 フーコーとみられる登場人物との赤裸々な関係を描いた小説を後に発表する。『僕の命を救ってくれなかった友へ』(集英社文庫)という小説である。1980年代の後 半、ギベールは自殺未遂をはかり、1990年35歳の生涯を閉じた。  
1980年代後半から90年代の最初は、まだ決定的な治療薬は見つからず、このようにHIV感染者たちは死と向き合いながら懸命に生きようとしたのであった。代表的なフランス映画としては『野性の夜に』という作品がある。HIVに感染したバイセクシャルの男性と十代の女性の恋人との関係を描いたものだが、この映画に対する評価は賛否両論みたいである。  

では日本ではどうだったのだろうか? 日本でエイズというと、薬害エイズのイメージが全面 に出てしまい、性行為によって感染した人々はあまり注目されないように思えるが、みなさんはどのような印象をもたれるだろうか? 家田荘子原作の『私を抱いてそしてキスして』が映画化されたが、これはセックスでHIVに感染した女性を主人公としたものだ。1998年にはフジテレビで『神様、もう少しだけ・・・』とい うドラマが放映された。ここでの主人公も、一回だけの援助交際の結果 HIVに感染した女子高生が主人公となっている。こうしてみると分かることだが、日本のエイズには、多く女性が登場してくるのである。エイズ予防のポスターなどにもこのことはよく表れてくる。この点に関しては、日本のジェンダーの問題と合わせて考えると面 白いことが分かってくると思う。  

エイズの映画を通して、何か見えてきましたか? エイズは、様々な問題を私たちに提示しているのではないだろうか?

■ 意味の病としてのエイズ    

以上のように、エイズとそれを扱った映画について見てきた。この項はまとめとし て、エイズイメージについて僕なりの考えを述べたいと思う。  
HIV感染はウイルスの仕業であり、このウイルスが血液や精液を介して感染するというのは皆さんのご存じの通 りである。したがって、セックスが過多だったから感染したとか、アナルセックスをしたから感染したとか、そのような議論は意味をなさない。感染の可能性は誰にだってあり、特定の人の病気ではない。この役割を担ったのが、予防啓発運動であった。予防啓発は、単に感染予防を訴えるだけではない。感染 者以外の人が作り上げたエイズに対する悪いイメージを変えていく役割、科学的に正しい知識を普及させることで、エイズのイメージを変えていこうとする役割も担っているのである。  

エイズの問題を考えるときに中心的な問題になってくるのは、やはりイメージの問 題である。例えば、今の若者がわざわざHIVの抗体検査を受けようとしないのはなぜか? 今はいい薬の開発も進み、早く治療に取りかかれば、健康体で生活することができる。エイズは慢性疾患になったと口々に言われているにも関わらず、なぜそれほどエイズを恐れるのか? そこにはやはり、自分が感染を知ったことにより被る、様々な不利益があるからであろう。親は何と言うだろう? 友達は? これから好きになる人に、自分の感染をどう伝える? 自分が感染しても、自分には正しいエイズに対する理解がある。しかしエイズという病気は、まわりに大きな影響力をもつ病気なのである。しかも、エイズに対してこれほどの恐怖を抱くのは、その多くがエイズに向けられた悪意に満ちたイメージのせいなのである。  

では、映画作品がどれだけエイズのイメージ改善に役だっただろうか? 僕が思うに、エイズを扱った映画作品がラディカルにエイズのイメージを変えることができたのか、それには疑問が残る。おそらくこのコラムで取り上げた映画は、80年代から 90年代初期のものが多数であったので、ここ数年の医学的な進歩が映画に反映されていなかったのは事実であろう。今現在、例えばアメリカなどで上演されているもの は、エイズの扱い方が数年前とは大きく異なっているだろう。僕は、もっと感染者の視点に立った映画の可能性というものを模索すべきではないかと思っている。エイズ に対する悪いイメージによって苦しんでるのは、紛れもなく感染者自身であるのだか ら。今後の映画祭でも、そのような映画作品が上映されることを期待したいと思う。

(亮)

 
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