芸術家を描いた映画によく見られるのが、彼らの変わった性格や行動などを誇張し、あたかも芸術家とは一般
の人々とは異なる性格をしているからこそ、常人には発揮できぬ
才能を持ちうる、とでも言わんばかりに描くことだ。しかし、実在の映画監督ジェイムズ・ホエールの晩年の姿を描いたこの作品では、そうした卑しい俗っぽさは見られない。むしろ、時代の流れに取り残された人間の内面
を深く掘り下げ、記憶の奥底に眠っていた感情の目覚めを丹念に、そして優雅に描いていく。
またこの映画は 、創作物と作り手の関係が多義的に捉えられている。ホエールにまとわりつく映画オタクの青年を始め、彼がパーティに招いた「怪物たち」、そしてジョージ・キューカーなど、彼の周りには常に過去の作品と映画監督時代の栄光がまとわりつき、関連づけられて語られ、「伝説」だけが一人歩きしていく。しかし、そうした伝説とは遠く離れた所で、作り手本人は生きている。こうしたギャップの中にある孤独感が痛々しく描かれ、人生の侘びしさのようなものがにじんでくる。
最後、庭師は自分の子供にかつて主事していた監督の作品を観せる。このようにして、作品は作り手を離れ、時代を超えて多くの人に観られ、語られていく。しかし、作り手本人を知る者は少なく、時代と共に消えていく。この映画はただ単にある一人の芸術家の晩年を描いただけではない。むしろ、芸術家と芸術作品の親密でありながらも、同時に孤独な関係を描きだしていったのだと思う。同じく映画界を引退した孤
独な女優を描いた傑作「サンセット大通り」と、あるシーンがオーバーラップしていくのも単なる偶然ではないだろう。
(北条貴志)
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