魅惑的で、刺激的な映画ではあります。比較的おとなしめのプロットで、ペースもまったりとしているので、決してアップリフティングな映画とは言えません(もしかしたら、眠気を誘われてしまう人もいるかも…)。しかし、なぜか最初から最後まで映画に没頭してしまう人が多いようです。その理由の一つは、この映画の持つ独特のリアリズムにあるのかもしれません。
非常に大雑把に言ってしまえば、この映画は、三人の女性(シド、ルーシー、グレタ
)の間に芽生えた三角関係とそこに介入してくる様々な感情を扱ったものです。映画を見た後、感情のローラーコースターに乗った気分にさせられたのは私だけではないはずです。恋愛、野心、希望、感情操作、裏切り、うぬ
ぼれ、自暴自棄、満たされない期待…。そうした様々な感情が主に三人のヒロインによって描かれています。結局のところ、「愛」(というかおそらく「生」一般
なのでしょうが)というものは、美しく、その人の何かを変えさせるほどに建設的な力を持っているからこそ、感情操作と権力行使の道具にもなりうる、諸刃の剣だということでしょうか。
確かに、この映画は、「レズビアン」の関係を扱ったものの中でも、斬新な方ではります。しかし、結局のところ支配的な恋愛物語が持つありきたりさに陥ってしまっているのは残念です。恋愛ものの映画には、ある一種のパターンというか公式があるようです。つまり、恋愛物語というのは、多くの場合、その恋愛の成就を常に脅かすような一連の「障壁」についての物語だと言えるでしょう。そうした「障壁」がなんであれ、それらは、物語の中に緊張を作り出し、観客による物語への感情移入を促進させる効果
を持っているようです。まさにこれが、型にはまった恋愛映画が観客に提供する快楽なのかもしれません。
いわゆる「レズビアン」ものの恋愛映画もこうした公式にそっているものが大半なのですが、こうした映画の中での「障壁」には、「レズビアン」に関する支配的な言説を作り出し、維持してしまう危険が常につきまとっています。つまり、古い公式を反復する限り、「レズビアン」ものの恋愛映画は、魅力的な物語を提供するためには「
障壁」が必要でありながら、そうした「障壁」が、問題を抱えている、好ましくない
、不健全な「レズビアン」という言説を再生産してしまうという、ダブル・バインド
に陥ってしまうのではないでしょうか。
個人的には、女性間の恋愛関係の周辺に存在している感情的なもつれを、別
の方法で提供してくれる映画を見たいものです。しかし、この映画が、ハリウッド映画がばらまきがちな、過度なロマンティシズムをあえて避けているところには好感が持てます
。
私の意見はともかくとして、この映画は1998年のサンダンス映画祭で注目された作品
で、私の知る限りでは、この映画を見て否定的な感想だけを並び立てる人にはお目にかかったことがありません。三人の女性俳優もはまり役ですし、特にアリー・シーデ
ィーとパトリシア・クラークソンによる演技はパワフルです。まだご覧になってない方には、ぜひお勧めします。
(Y.I.)
LOUD オフィシャル・ホームページ
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