ジュード・ロウ。このイギリス人俳優の魅力を一言で表現するとすれば、
目からビ~ム!
だろう(…と思う。。。)。ジュード・ロウは強力な瞳の持ち主だ。その瞳で見つめられたが最後、男でも女でも彼に引き付けられずにいられない。目からビ~~ム!
ジュード・ロウの出演作をチェックしていくと、大きな共通点があることがわかる。
(その1)いつでもどこでも1人でキラキラ王子様系 …ま、華があるってことです。
(その2)ゲイ役、または、クィア映画の出演が多い。 …「オスカー・ワイルド」(1997)「真夜中のサバナ」(1997)ではゲイの役を演じたし、「ガタカ」(1997)は、クィアテイストな1本。
(その3)すぐ死ぬ。 …ジュード・ロウ本人の葬式から始まる「ファイナル・カット」(1998)を筆頭に、「真夜中のサバナ」(1997)では、ジュード扮する男娼殺害事件が、物語のメインとなる。映画デビュー作の「ショッピング」(1994)や「ガタカ」(1997)、「クロコダイ
ルの涙」(1998)でも、やっぱり死ぬ。
う~ん。ジュード・ロウって、折れたら枯れる1輪の薔薇なんだね。
以上のことを頭に入れて、映画を観ると、「リプリー」(1999)はすべての条件を満たしている正真正銘のジュード・ロウ映画だと言うことがわかる。同性愛映画としての側面
を持つ「リプリー」(*その2)のジュード・ロウは、ジミー大西にしか見えないマット・デイモンと、映倫コードぎりぎりの顔面
ミイラ、グウィネス・パルトロウなど共演者に恵まれ、1人でキラキラ輝いている(*その1)。これでは、オスカー・ノミネートも当たり前である。で、「太陽がいっぱい」(1960)同様、途中でジミー
大西に撲殺されて、死ぬ(*その3)。映画、まだ、1時間以上、残ってるんですけ
ど。。。。
さて、ここで一つの疑問。「太陽がいっぱい」でリプリーを演じたのは、元祖「目からビ~ム」俳優、アラン・ドロン。でも、「リプリー」でタイトルロールを演じたのは、同じ系統のジュード・ロウではなく、マット・デイモンだった。ジュードが演じたのは、リプリーが思いを馳せる富豪の坊ちゃんディッキー役。「太陽がいっぱい」
でこの役を演じたのはモーリス・ロネ。ルイ・マルの「死刑台のエレベーター
」(1957)や「鬼火」(1963)で、半分、死人のような主人公を演じた俳優である。リメイク「リプリー」のディッキー役における、陰(ロネ)から光(ジュード)への転換は、何を意味するのか。う~ん、わから~ん! 難しいことを考えるのはよそう。要は、こういうことである。
「リプリー」が、21世紀的観点で、「太陽がいっぱい」よりも同性愛的傾向を強くして製作された時、もし、リプリー役をジュード・ロウが演じ、デイモンがディッキーを演じたとする。確かに、ジュード効果
で映画は最後の最後までキラキラ輝き続けるかもしれない。でも、少し、考えてみよう。
王子様ジュード・ロウがマット・デイモンに惚れるか?
…そんなわけないじゃん! そんなの説得力0である。やっぱり、ジュード・ロウは
、キラキラ輝いて、場をさらったら、とっとと退場するのが賢明なのかもしれない。
これにて、一件落着(…ん?)。
ゲイ受けする役柄を好んで演じるジュード・ロウだけど、実は、奥さんがいたりする
。しかも、子持ちである! そして、誰も指摘はしないけれど、20代後半にして、
あの額の後退ぶり(汗)。新作「A.I.」の特殊メイク姿にギャッと思った今(さすがスピルバーグ。悪趣味である)、果
たして、ジュードのキラキラ王子様系はいつまで 持続するのか、1ファンとして不安は募るばかりである。
(michi-ta)
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