3人の女、スゴイ映画です。何から何まで人を不安にさせる要素満載。ストーリーから何から人を迷わせようとしています。解釈を拒むとでも言えば良いのでしょうか…。
すべてが謎に満ちているが特に謎が解かれる訳でもないので余計にもストレスがたま
ります。
まず配役。主役がシシー・スペイシクとシェリー・デュバル! 全くもってぶちきれているとしか言い様がない。だって「キャリー」と「シャイニング」なんだから。このキャストを見た瞬間、普通
の映画ではないと思うべきではないでしょうか。日本人でいうと岸田今日子と白石加代子と言うのがいい例えなのでは。特にシシー・スペイ
シクが恐い。キャリーそのまんまだ。一体、当時幾つなんだかしらないがどう見ても中学生にしかみえない、しかも眉毛が無いし。いやあ怖い。
ストーリーは、わかりやすく言えば、アルトマン版「ルームメイト」だ。話はピンキー
(シシー・スペイシク)が老人リハビリセンターに面接に行くところから始まる(ど
う見ても家出中学生だ…)。なぜか採用され、たまたま近くにいた完璧主義者のミリー
(シェリー・デュバル)は、彼女の教育係になる。ピンキーはミリーにまとわりつき、
ルームメイトを募集していたミリーと同居することに成功する。そして、ミリーの保険証番号を書き留めるは、日記は勝手に読むは、なかなかのストーカーぶりを発揮する。当然ミリーはそんなことには気づかない。
ある日、ミリーはパーティーを友達にドタキャンされて、それをピンキーのせいにしてしまう。その上、憂さ晴らしなのか、自宅にエドガーを連れて帰る(エドガーは3人目の女ウィリーの夫だ。ミリーとピンキーが住んでいるアパートのオーナーで、酒場ドッジ・シティの主人でもある)。そのことにショックを受けたピンキーは自殺を図るのだが、一命を取り留める。そして目が覚めたとき、ピンキーは、自分をミリーだと思い込んでしまう。自分の両親を知らないと言い張り、「自分はピンキーでなくミリーだ」と言う。煙草も酒もやるわ、エドガーを部屋に呼んで、遊ぶわ、ミリーの日記まで付けるようになる。
「ルームメイト」はだんだんそっくりさんになる話なのだが、この場合は全然違う。
確かにピンキーはミリーになっていくのだが、ミリーそのものになるのではない。彼女のダークな部分のみを取り込んでいるようなのだ。その証拠であるかのように、ピ
ンキーが記憶喪失になってからのミリーは大変いい人である。ピンキーの世話をかいがいしくし、彼女の両親を田舎から呼んでやり、保険証のことで会社からピンキーが責められると、怒って会社を辞めてしまう。お気に入りの車を勝手に乗り回されても仕方がないと諦めてしまう。
ある晩、ピンキーは怖い夢を見て、突然元に戻ってしまう。当然、ミリーはそんなことに気がつくわけもない。その晩、エドガーが部屋にやってくる。しかも子供が産まれるというのにウィリーを一人にしているというので、二人は、酒場に向かう。ミリー
はピンキーに「車で医者を呼んでこい」と言うが、元に戻った彼女にそんなことできるわけもなく、子供は死産してしまう。ミリーは、なにもしなかったピンキーをぶちのめす。
エピローグでは、エドガーは銃の事故で死んでおり、二人はドッジ・シティにいて、
ミリーはウィリーの代わりにそこを切り盛りし、ピンキーはミリー(しかも子供のミリー)になっており、ミリーのことをママと呼ぶ。さて、この場合ウィリーは誰なの
だろう。やっぱりミリーなんだろうか・・・・。これは何の説明もないがすごく妙で
す。
話も十分意味不明なのだが、他にもその要素満点なものがある。一番妙なのは、美術と、色彩
。この映画の主要登場人物には、色が決まっている。ミリーは黄色マニア
で着ているものから車、部屋のインテリアも全て黄色でコーディネイト。ピンキーは
ピンク。住んでいる所はパープル・セージ・アパートメントの名の通
り紫色。なんか 気が狂いそうな色彩感覚である。もう一人の女ウィリーは生成のドレス。この人いつも絵を描いているのだが、趣味というにはあまりにのめり込み過ぎている。暇がある
と常に何所かに絵を描いている。その絵というのが、彼女の内なる神秘的イメージ、
特に争いと憎悪を表象しているとでも言えばいいのか、妙な絵である。鱗や尻尾の生
えた人に似た生き物が争ってるといった感じの絵である。彼女妊娠しているのである
が、胎教に悪そうだなあ、と映画ながら心配する。
音楽も全編、人の不安をかき立てるような陰鬱なメロディーが続く。
非常に精神的に消耗するので、気力体力共に充実させてから見ることをお勧めしま
す。しかし、この映画、見た人にとってそれぞれ違った解釈を抱かせるのではないかと思います。様々な解釈を生み出すけれどどれも正解ではない、そういったところも含めてこの映画、傑作であると思います。
(papillon)
|