痩男ティック、筋肉質フェリシア、初老真近ベルナデットというドラァグクィーン3人が、バスでドサ回りの旅をしながら、本当の自分、そして居場所を見つけていく。
旅の途中、ティックは妻子持ちだと打ち明ける。信じられないわ! とばかりに2人はティックに冷たく当たる。
人それぞれ何かしら背負っているものはある。迷いながらも、それを現実と受け止め、真っ直ぐ歩んでいる者は強い人だと私は思う。自分の道は自分の足で踏んで感じなければ、光も闇も生まれない。
ティックは息子に自分の職をどう説明しようか悩む。
ベルナデットは道中で出逢った男に魅かれながらも、自分に自信が無く躊躇する。
扉は自分で開かなければ…と分かっている2人。誰しも自分の内を知られたくないが故、突っ張ねる部分はあるだろう。だけど、それは知らぬうちに自らを苦しめる事になってしまうものである。
しかし、相手は意外にあっけらかんとしている事が多いもんだ。ティックは「父さんの仕事知ってる…?」と聞くと、息子は「知ってるよ」と無垢な顔で答える。1人で出来なけりゃ2人で、そして、とにかく歩いてみなきゃ分からないよ、という具合にね。
本当の自分探しは多分一生続くだろう。だけどこれを観て、最後に笑えればそれでいいと思った。正直に生きていれば誰かしら手を差し出してくれる…。例えば5人が手を差し出す。たった5人だけと思うか、5人も居ると思うかはあなた次第である。
そして、3人のドラァグクィーンはド派手な衣装で、見渡す限りの荒野の断崖に立ち、「帰りましょう」と呟く。誰もが帰る場所はある、と教えてくれるのが、この「プリシラ」なんじゃないかな。
私がこの映画を観た時期、心内では片付けられない自分の思いを抱えていた。それでも遠回しに表現してはいたが、伝える事にはダイレクトでなければ受け取って貰えないものがあるとプリシラで教えられた。純なる気持ちは純なままに…。それからは、バカ正直と言われようがありのままに伝えるようになった。今まで、様々な映画を観てきた私にとっては、世渡り下手な部分を「そのままでいいんだよ」と語り掛けてくれたのは、この映画が初めての様な気がする。
(2002/05/01up)
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