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<第7回>
火の鳥2772 −愛のコスモゾーン−」


written by 岡田★ピュア彦
 「火の鳥」シリーズといえば、ご存じ、手塚治虫のライフワーク。そして手塚作品といえば、ヒューマニズムに溢れたテーマで老若男女問わず安心してお楽しみいただける、アニメ界のJISマーク的存在です(実際は、漫画作品なんかでは結構シビアな描写も多いんだけど)。
 本作は1980年に封切られた劇場用の作品で、いわば火の鳥シリーズの中でも番外編的な扱いらしいんですが、そこはそれ。ご多分に漏れず、非常に真っ当で優等生的なストーリーとなっています。

 舞台は遠い未来。地球では過剰な人口をコントロールするために、選ばれし者のみが試験管ベビーとして産み出されるという超管理社会となっていた。主人公ゴドーも、そんなベイビーの一人として、育児用の女性型スーパー・ロボット「オルガ」に育てられ、宇宙ハンター(なにそれ?)としての専門教育を施されてゆく。一方、政治センター長官であるロック(ゴドーと試験管?兄弟という設定)は、地球が危機に瀕していることを知り、自分だけが生き残るために、不老不死のエネルギーを持つという未知の生命体「コードナンバー2772」通称"火の鳥"の捕獲をゴドーに命ずる。
 しかし、ロックの婚約者と恋に落ちてしまったため、強制労働キャンプに送られるという、とんでもない目にあってしまうゴドー。労働キャンプの屈強な男たちに取り囲まれ、「オンナみてえにキレイな顔してんじゃねえか…」などというヤオイなことは残念ながら起こらず、ゴドーは反体制思想をもつ科学者サルタと出会う。二人+オルガは、地球の危機を救う鍵となる"火の鳥"を求めて、宇宙船スペース・シャーク号(もちろんサメ型)を奪ってキャンプを脱走。航海の末に火の鳥2772を発見するが、それは恐ろしい力を持つ凶暴な生命体であった…。

 以上が、大まかなお話の流れ。80年という時代状況を反映してか、「管理社会≒社会主義」と「個人(人間)の情熱」という対比がアツいくらい分かり易く描かれ、もうお腹いっぱいです。ついでに言うと、サブタイトルも凄すぎ! 一周してカッコいいくらい。
 でも、これじゃ全然クィアじゃないじゃん? …そうなの。実は、この作品には上記と平行して、もう一つのプロットが敷かれているんです。

 ゴドーに想いを寄せる女性型ロボット・オルガの感情の変遷と、二人の関係の変化がそれ。このオルガ嬢、ただの育児ロボットではなく、様々な形に変形する事ができる上、主人公を助けるためなら車も持ち上げちゃうという、とんでもない力持ち。
 当初、子供であったゴドーを、影になり日向になり(トランクになり、ロケットになり)しながら慈しみ育てるオルガの役割は、まさに母親のそれであり、そこにはそこはかとない母性が感じられる。しかし、成長して一人前の男になったゴドーがロックの婚約者と恋仲である事を知ったとき、オルガは自分の中にある母性ではない感情 -恋愛感情- に気付き、流れないはずの涙を流して葛藤する。最終的には、物語の後半、火の鳥との戦いの中でゴドーを庇って黒焦げの残骸になってしまうのだが、その純粋な愛に打たれた火の鳥によって生命を吹き込まれ、人間の女性として再生する。そして、赤ん坊の姿に戻ってしまったゴドーを抱き上げ、自らの母親としての生を確信する場面で物語は終わる。

  当時、子供だったおれさまは、さしたる疑問も持たずにこのストーリーを受け入れてましたが、よくよく考えると(考えなくても)、これってすごくヘンな話じゃないですか? だって、そもそも乳母として作られたロボットが、自分の子供にあたる主人公に母性的な愛情を抱くのは分かるとしても、やがてその子に恋愛感情を持ち、最後にはまた母親としての肉親愛(母性)に戻っていくっていうんだから。
 作品中において、この変遷が自然に感じられるのは、オルガがロボットだという設定に負うところが大きい。ロボットは歳をとらないので、もともと大人のオルガと成人したゴドーとの組み合わせは、見かけ上、自然な均衡を生みだすことができる。でも、「ロボット×人間」という恋愛関係の摩訶不思議さを別にしても、一人の(ロボットだけど)心中にある情緒の流れが「母性→恋愛感情→母性」と移り変わるというのは、とても「変態」っぽい。クィアです。物語の中では、オルガは人間になってしまったので、もう大人になったゴドーに恋することはないと推測されますが、もし彼女がロボットのままだったら、やっぱりもう一度恋をしてしまうのでしょうか…?

 ここでひとつ気になる点が。彼女が劇中で本当にこうした感情の変遷を辿ったのならば、それはとてもクィアですが、ここには「描かれ方」の問題が残ります。こうして書いてみると、やっぱり最後にアレを言っとかなきゃ、って気になります。そう! アレです、アレ!! 聞きたくない人は耳を塞いで読んで下さい。だって、もしもこのお話が「女の子と父親型ロボット」の話だったとしたら? 父親がやがて自分の育てた娘に恋して、そしてまた赤ちゃんになった娘を抱き上げて…って、うわ生々しっ!! そもそもお話として成り立たないはず。なんで成り立たないのか…。だって、この筋書きとオルガのキャラクター設定の根底にあるのは、母性を女性の本質的な特性として前提し、尚かつ家庭内での女性役割として、子供に対する母性と男性に対する性労働(愛情に基づく(とされる)セックス)の両方を期待する、異性愛男性優位主義的な女性蔑視なんだもーん。

 80年という時代的制約と子供向けアニメ作品という性格を考えれば、そこまでジェンダー的な公正さを求めるのはどうかとも思うけど、あえて「クィア」の文脈で捉え直すなら、やっぱり最低限の指摘をして差し上げるのが礼儀というもの。もちろん、そんなPCを度外視しても、それなりに楽しめる作品だと思います。少しでも気になったアナタは、早速ご自分の目で確かめてみて下さい。だって8歳の時に観ただけなので、上のあらすじとか間違ってると思うから(ギャフン★)。


(2002/07/12up)
<最終回リレーエッセイ予告>
次の人へのおすすめは、「河」
リレーエッセイのトリを飾るのは台湾の蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)の「河」。映画の撮影で「河」に浮かぶ死体役をやって以来、首が曲がらなくなる奇病に悩まされる主人公を軸に、若い男を追いかけまわす父親、ポルノビデオに夢中になる母親など、バラバラになった家族を丹念に描きだした傑作。余分なものを一切排除したストイックな作風で、孤独や関係性について肉迫している。監督の蔡明亮と彼の作品にずっと主演している李康生(リー・カーション)は私生活でもカップル同士。愛こそ創作の源?
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■ 火の鳥2272
−愛のコスモゾーン−

(1980)■
原作:手塚治虫

Official website
http://ja-f.tezuka.co.jp/anime/sakuhin/mv/mv012.html

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