愛の破片
Poussieres d'amour
(1996年/ドイツ・フランス/122分)

【監督】 ヴェルナー・シュレーター
【草案】 ヴェルナー・シュレーター、       クレール・アルビー
【撮影】 エルフィ・ミケシュ
【美術・衣装】アルベルト・バルザック
【出演】 アニタ・チェルケッティ(ソプラノ)/マルタ・メードル(ソプラノ)/ローレンス・デイル(テノール)/セルゲイ・ラリン(テノール)/イザベル・ユペール/キャロル・ブーケ

愛の破片

 僕個人は「オペラ」にも「古典芸能」にも「無知」というか、ほとんど「白痴」に近い状態なんだけど、この映画には深い感銘を受けました。

 パリ郊外にある中世の修道院を舞台に、年齢も経歴も異なるオペラ歌手たちが集まり、生や死、多くの仲間を失ったあの「病い」や、愛について語り、歌う・・・・、と、そういう風に聞くと、なにか官僚的なドキュメンタリー番組や、かつてフランコ・ゼフィレッリが試みた退屈な舞台中継「ラ・トラヴィアータ」あたりを思い浮かべる人も多いかもしれないけれど、ここにはそうした硬直したものはなく、オペラと映画に精通した人だけが作りだせる雰囲気に満ち溢れた、豊かで美しい映画だと思う。

 よくオペラは「装飾的」とか「様式的」というように形容されるんだけど、ここでは中世の修道院、というロケーションもそうだけど、みな日常着を着て、語り、歌う。

 つまり、オペラ特有の舞台装置をはずし、まったく自然のままで、その生の声や姿をさらけ出すことにより、その本質にある美に肉薄していく。

 またそうした修道院での風景と同時に高層ビル群など、様々な映像が混ぜあわされ、映画そのものを深奥で、豊穰なものにしている。

 もうひとつは特筆すべき点は照明の美しさ。何本ものロウソクの光に照らしだされたテノールのローレンス・デイルが愛や人生について語るシーンの美しさは筆舌に尽くすほど!

 今回2度目に観て思ったのは、表情の捉えかたがいいな、ということ。これみよがしの「美しい顔」や「フォトジェニックな表情」というのを捉えるのではなく、本当に自然な表情をして、しかもそれを表層的な美しさを超越したものとして、映しだしていること。(まぁ、それも『演技』の一つかもしれないけれど)そこには本当に「生」の凄さというのがありました。

 もう一つ面白いな、と思ったのは、リタ・ゴールだかアニタ・チャルケッティだか忘れてしまいましたが、「今と昔はなにが変わりましたか?」というキャロル・ブーケの問いに対し、「今はなにもかも常に『完璧さ』を求めすぎていること」と答えていたのが印象的。

 その言葉の後に、まさに現代的な「合理性」と「完璧さ」の象徴とも言える高層ビルや駅の構内などの映像が挿入されるんだけど、まぁこれは面白いよね。

 つまり、この映画のなかでは、オペラを「舞台」という枠から外して、「自然」に見せることで、その本質に迫るわけだけど、そうしたものを思うように見せ、また美しい歌声を多くの人間に最高の状態で聴かせるためには、より高度な「技術」が必要とされるわけよね。

 しかし、その「完璧さ」を追及することで、かつて「失敗」や「余裕」のなかから生まれたものがなくなり、作り手の方にも「余裕」がなくなり、大きな「負担」をかけることになる。

 これは「芸術」すべてが抱えるジレンマみたいなものかもね。いや、芸術だけではなくて、今の生活一般に言えることかもしれないけど(こう書くとややステレオタイプかな?)。

 そう考えると、やはりこの映画は単なる「オペラのドキュメンタリー映画」というだけでなく、多くのモノを内包した哲学的な映画なのかもね。
 
 キャロル・ブーケとイザベル・ユペールという「道案内人」の存在も面白いけど、ユペールの歌、というのが本当に魅力的。
  
 これは正に2時間、夢のような旅をしている気分にさせてくれるものですよ。

 (北条貴志)


インタヴューヴェルナー・シュレーター(監督)

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