|
M● 「クィア」という概念は非常に西欧的な思想の上に成り立っているもののように思うの。それに、おそらく日本とはゲイ/レズビアン・アイデンティティについての考え方にも大きな違いがあるでしょ。シューリーはいろいろな国を訪れ、それぞれの国のゲイ/レズビアンのコミュニティを見てきていると思うけど、日本のゲイ/
レズビアン・コミュニティの状況について、どんな風に感じる?
S● 1994年に初めて日本に来たときは、やはりまだレズビアンはレズビアンのコミュニティにだけ出入りしているというような閉じた状況だったと思う。でも、「ダムタイプ」の古橋悌二に会い、彼から京都のドラァグクィーンのコミュニティを紹介されました。彼らは非常に自由で、解放されたスピリットを感じることができた。
今ではもっともっと、ゲイもレズビアンもミックスされてきていると思う。ただ、
同性婚やゲイ/レズビアンへの法的保護といった事柄については、なにひとつ変わっていないのではないかな?
M● もし、ゲイ/レズビアンがそれらの、いわば政治的な問題を解決しようとする
なら、自ら「ゲイ」「レズビアン」というアイデンティティを掲げて、社会へ異議申し立てを行わなければならなくなってしまうわ。それって、「クィア」という考え方に逆らってしまうということではないの?
S● 「ゲイ」という言葉にしても、「クィア」にしても、日本においては西欧の考え方の影響を大きく受けていると思う。ただし、どんなコミュニティであれ、国であれ、言葉の再定義が行われるもの。例えば、日本ではある種のレズビアン人達のこと
を「おなべ」と呼ぶよね。だったら「お鍋パーティ」を「自分たちのセクシュアリティを祝福するパーティ」という意味で使ってみるとか(笑)、再定義してみることは可能でしょ?
「クィア」を、政治的な活動をしないでいることのカモフラージュにしてはいけな
いと思う。「クィア」であると同時に、そうした状況を変えていこうとする闘いもまた行われている欧米と、日本の違いはそこにあるのでは。
|