|
S● 一度、「ゲイ」や「レズビアン」という分類を必要とする状況を作り上げてしまうと、つねに「ゲイ」「レズビアン」というアイデンティティを掲げて闘わざるをえなくなってしまう。私はそうした政治化されたカテゴリーには加わりたいとは思わ
ない。そこから解放された「クィア」なセクシュアリティを標榜しているのね。
『I.K.U.』にはレプリカントがペニス型のデータ採取機の腕を使って女性とセックスをするシーンや、FTMのDizzyとReikoとのセックス・シーンが出てくるでしょ。パリのレズビアン・コミュニティではいまだに「セックス・トイを使って良いのか?」
、「何故、ディルド(張り型)はペニスの形をしていなければいけないのか?」といった政治的な論争が繰り返し行われている。女性から男性になったFTMの人について
も、はたして彼が好きになるのは男性なのか?/女なのか?、その場合、彼はゲイな
のか?/ヘテロなのか?、といったセクシャル・ポリティクスばかりが論議される…
…。
私が言いたいのは、セックスが政治化されてしまう前の状況に戻ろうということ。
性的な快感の追求。快感を得るためならば、何をしたっていいじゃない!といった気
持ち。純粋に「ポルノ」を楽しんで欲しいと思う。もっとも最近はポルノもつまらなくなってしまったけれどね……。
M● どういうところが?
S● 私がヘテロのセックスをつまらないものと感じたのは、男性が“ダンセイ”を
演じ、女性が“ジョセイ”を演じるだけという状況から抜け出せなくなっているから
。性革命が起こり解放されたとはいえ、やはりどちらかが“ダンセイ”の役で、一方
が“ジョセイ”の役という社会の枠組みから逃れることが出来ないでいる。ポルノも片方が他方を支配するパワープレイ(力関係)を描いたものばかりで、面
白くない。ピュアなポルノの楽しみ方を思い出しましょう、ってこと(笑)。
私の映画がゲイ/レズビアン・コミュニティに誤解されやすいということも分かる
。けれど、私はやはりカテゴライズされてしまうことは嫌。それなのにいまだに、「シューリー、あなたはレズビアンなの?」って訊かれるよ(笑)。
|