queer de pon

2000年1月分

「要注目の新人」
(2001.2.1)

目下、香港でもっとも注目されている新人は陳冠希(エジソン・チャン)という。日本でもいろいろと雑誌などにも露出しており、見かけた人もいるのだろうし、気になった人もいるのでしょう。

デビューして、初映画(「特警新人類2(Gen-Y Cop)」、日本でも公開された「ジェネックス・コップ」の続編)にして主役を演じ、出したデビュー・アルバムもそうそうたる売り上げを記録しているとすでに人気とスター性は充分。もちろん、背景に成龍(ジャッキー・チェン)に見込まれたか ら、あるいは張國榮(レスリー・チャン)が曲を提供したからという話題性もある が、J系(自衛官系ではないので、あしからず)にも引けを取らない、彼自身の甘いルックスも成功する要素の一つである。

ちなみに、日本語も少し出来る彼はすでに日本のスクリーン・デビューを果 たしてい る。今公開中の三池監督の「DOA2」に出演しているのだ。気になる方は要チェック! ただ、彼の歌はお世辞にもうまいとは言い難い。しかし、そういう意味でも実にアイドル的なのである。しかも実際、何度も繰り返して聞いている内に、そう捨てたモンじゃないという気すらして来るという... もっともそれは、CDのジャケット に見るその可愛さにノック・アウトされているだけなのかもしれないのだが...

(ScH)

「字幕の真相」
(2001.2.1)

テレビを見て最近気になるあの字幕。ニュースなどで一般人にインタビューしている際、なぜか字幕が出て来るのだ。

字幕というのは本来、他言語を理解するためにつけられるもの。これがCNNのニュー スならわかるが、なぜ街角のインタビューに字幕がつくのか? 

日本語から日本語の字幕はなにも今に始まったことではない。わかりにくい言葉・聞きなれない言葉に対しては字幕がつけられてきた。例えば方言には字幕がついていた。 また、省略して話されるインタビューの場合にも、それを補うものとして字幕がつけられてきた。 芸能人の離婚会見では、思い出したくない・はっきりとは口に出したくない・あえて言うまでもない「あの事実」に関しては本人が省略するため、それを補うものとして 字幕が加えられる。 「(彼の浮気問題)それだけが原因ではないですけれども・・・・」このような感じで使われる。本人が嫌であえて使わなかった言葉をわざわざ字幕にして出すのは、ほんとワイドショー魂だとおもうが。 または官僚へのインタビューで「(景気対策の効果は)まだ目に見える形では表れていないが・・・・」などと使われる。 バラエティー番組ではウケを取る言葉を字幕として出して、よりインパクトを与える効果 を出している。

これらの字幕には、たとえ日本語から日本語への字幕だとしてもそれなりの意味と効果 がある。だが、街角インタビューは解せない。

インタビューにつけられる字幕はほとんど本人を要約したもの。クリスマスのイルミネーションを観にきたカップルの「とてもきれいで感激です。もっとたくさんの人が来て混み合っているかと思ってました。茨城からきたかいがありました。」・・・・ ・これだけのことにどうして字幕が必要なの? 要するに「あんたの言うことはだらだらしてる」ってこと? それならインタビューなんてしないでって、わたしなら思うのだが。・・・・・でもインタビューを見てい て、私もついつい字幕のほうを見てしまうのだ。楽だなあ、と!

(ユミコ)

「表示」
(2001.1.26)

やっぱり牛乳は北海道でしょ。 行き過ぎ健康フリークユミコは食事もなるべく自分で作るようにしているのだが、素材にもこだわる。(だから買い物に時間がかかる!) 買うときは必ず食品表示を見て買うようにしているんだけど、これがまた紛らわし い。

例えば牛乳であれば、原料の生乳の産地が北海道でなきゃ「北海道牛乳」とは表示できない。しかし、その他の加工品であれば、それを加工した製造工場の場所が産地になってしまうから、「紀州の梅干」と書いてあったとしても、果 たしてキミはどこからきたの?、ということになる。

牛乳にこだわらなくとも、ダイエットで糖分の取りすぎに気をつけている人は多いだろう。私などは砂糖は今までの人生の中で買ったことすらない。戦中教育よろしく 「砂糖は敵」と育った世代(?)なのだ。私の作る煮付け・煮物は醤油オンリー・・ ・・とても食べられたものではない。 よく見かける「甘さ控えめ」ものにも、実は落とし穴がある。「糖分控えめ」はほんとに糖分が少なくないといけないが、「甘さ控えめ」のほうは味覚表現と解釈されるのでどんなに砂糖が多くてもかまわないのである。今まで喜んでそれらの商品を買っていた私は、その仕組みを知ったとき崖から突き落とされた感じがした。

食品表示の法則の抜け道からこのような不都合が起きるのだが、これはなにも食品に限ったことではない。映画にだって起こる事だ。

例えば映画のパンフレット。監督名、製作年、製作国などの情報が並んでいる。今までこういう表示に疑問をもったことはなかったが、昨年の映画祭で(これはどこの国の作品・・・・?)と考えてしまう作品があった。

その作品は、自主制作映画で監督は韓国系アメリカ人。アメリカで撮影した作品で、 セリフはすべて日本語、それに英語字幕がついている。キャストは一部日本人。まるで映画のオリンピックのような多国籍ぶりである。

邦画・洋画をくまなく網羅した本、「映画大全集」の編集元に問い合わせたところ、 映画の国籍は「その映画を作るために出資した会社(監督個人が出資した場合はその監督の国籍)のある国」が原則となっているそうだ。但しこれにも判断しかねる微妙なケースがあるので(フジモリ元ペルー大統領みたいな場合ってことか?)、その場合はそれを文章中に書き加えてフォローしているのだそう。この原則に当てはめると、先の作品の国籍はアメリカ、となる。

要するに映画の世界では、国籍は金で買われるものなのね、と世の中の仕組みを垣間見た私なのだった。

おわり

(ユミコ)

「手紙」
(2001.1.22)

さる12月。部屋の大掃除ならぬ、パソコンの中の大掃除をしてみた。 映画祭がらみのメールを始め、1年でかなりの量のメールがたまる。そのままとっておいても良いのだけど、いざというとき必要なメールが探しにくいのでやはりいらなくなったものは処分して整理したほうが良い。 そういうわけで、不要なメールを処理しようと1年分のメールをみていた。 その中で見つけたのが、私にとっては珍しい「ラブレターの返事」である。

その人は何度かしか会ったことのないノンケの男だったが、ラブレターをもらった。 その中には「ゆみこさんに会えるなんて、東京に出てきたかいがあった」とか、「自分とはこれからもずーっと会って欲しい。結婚したらさびしい。」とか、はては「あなたは法律上の契約である結婚に縛られるべきではない」などというおせっかいなことまで書いてある。「こんなに美しい人がいるなんてほんとにびっくりです」と彼は書き、しかも「それはマスコミで言うところの作られた美しさではありません」という注意書きまで入っている。・・・・でもそれってかなり失礼じゃない???

私は彼の私に対するイメージが一人歩きしている点、私のことを何もわかっていないのにわかりきったように書いている点に抗議すべく返事を書いたのだった。送信日時を見ると明け方4時。しかも確か書き終えた後に読み返しもせず送ったはずだ。これはかなりヤバそう!! それでは一部を抜粋してみましょう。

自分が「安らぎを与えてくれる人」とか「きれいな人」といわれてもあんまりぴんとこないんだ。今までにも言われたりすることはあるけど、それが自分を的確に表現している言葉だとは思わないし、自分がそうなりたいと思っている言葉でもない。でも、そういわれるたびに私は自分がただのフツーな人間(「きれい」と言っていれば 喜ぶ、みたいな)と思われているみたいで、がっかりする。

私が今までに言われて一番うれしかった言葉。「エキセントリック」だと言われたこと。その人自身もアーティストでかなりエキセントリックな人だったけど、その人は 私と話して私の中に狂ったもの・境界線上にあるものを感じたそうです。 そういう言葉のほうが私はうれしいし、私が目指しているものでもある。私は自分が 誰にでも好かれるような一般受けする女になりたいとはまったく思っていない。一部 の人に「超!いい!!」と思われるような強い意志を持った人間になりたい。 なのにいまだに私は「話し掛けやすい人」なんていわれるほうが多いんだけど、私は 「話し掛けやすい人」じゃなくて「話し掛けてみたい人」になりたいの!こういう違いわかる? 私が自分に求めているのは、他人を癒す力ではなくて、人によっては嫌がられてしまうくらいの、でも人を惹きつける、強力な存在感や影響力なのです。 そうなるにはまだ程遠いけど、自分に生まれつき備わった「話し掛けやすさ」を今のところは利用して、自分を変えていくしかないね。

・・・・そして私はこう締めくくっている。

せっかく私のことを誉めてくれる手紙をもらったのに、こんな返事を書くなんて私はかなりひねくれた人に思われるかもしれないけど、そうじゃないの。 私には目指しているスタイルがあるから、それにこだわっているだけ。

何なんだ、このはき捨てるような言い方は?? 私、初めてまじまじと、このメールを読みました。これがもし他人の文章だったら、 なんなのこの女? と思っただろう。

書き方こそヤバイが、考えていること自体はやはり普段の私のまま。一般 受けすることを目指さず、一部の人に熱狂的に支持されることを望む。
この私の姿勢は映画祭の中でも現れている。私はプログラミングにかかわっているのだが(プログラミングとは映画祭で上映する作品を集めてくること)、映画祭でやる作品はゲイ映画であることももちろん必要だが、それ以前に一般 的に映画としてのレベルをクリアしているかが要求される。だが、私は一般 的な映画のレベルに照らし合わせることにはまったく興味がなく、技術的な点は未熟でもなにか人を惹きつけるエネルギーがあるか、良くも悪くも論争を巻き起こせるものか、誰もこんな映画観たことない! と思われるような映画をみせたい、そういう気持ちで探しているのである。

私のようなスタッフばかりだと、映画祭として成り立たないのだけどね!

(ユミコ)

「初対面の男」
(2001.1.15)

私の高校来の友人から相談があった。彼女にはネットで知り合った男がいて、今一番 気になる存在だという。彼のことをどう思うか一度あってほしいといわれ、3人で食事をすることになった。

第一印象の彼は、よくもなく悪くもなく普通の男だった。関西なまりの良く話す人という感じ。彼の仕事の話、大学時代の話、趣味の話・・・・・・そこまでは良かった 。

やがて話が「東京についてどう思うか?」へ移った。

「東京の男ってさあ、みんな女みたいだよな」と彼は言った。彼によると、東京の男というのは体にぴったりした洋服を着て、女の子にくっついて歩き、頼りないらしい 。男なのに群れをなして歩いて、つるんでいる。自分は男同士で喫茶店なんて絶対に入らない。でも甘いものは好きだから、そんなときは女の子に頼んで一緒に入ってもらっている。

「あいつら全員即おかまになれるぜ」

・・・・この言葉は私にとって宣戦布告となった。

「男同士で会うのがどうして情けないことなの?人と会って話したりするのは、自分の価値観を広げるために必要なことでしょ?それを男同士で喫茶店に入るのは情けないなんて考えるのは間違っているし、大体女に頼んで喫茶店に行くあんたのほうが、よっぽど情けなくて女々しいでしょ!どんな洋服を着てようと、外見と中身は関係ないんだから。そんな風に人を判断するあんたって、かわいそうな人!!」

私はこう言い放った。

思わぬ地雷を踏んで十分の一に縮小した彼と、唖然としている私の友人をよそに、私は普段からの持論を発表できてかなり満足なのでした。

(正しい恋のキューピッド役 ユミコ)

「クリスマス大戦」
(2001.1.15)

香港映画界にとって、クリスマスはまさしく一年間の中でのかきいれ時期の一つ。そして、昨年のクリスマスの公開作品は、日本人にとってもおなじみの役者が出演しているため、一部ニュースにもなっていることを、みなさんはご存知のだろうか?

というのも、昨年のクリスマス作品に藤原紀香が果敢にスタンドを挑んだ「雷霆戦警(China Strike Force)」(GW日本公開予定)、常磐貴子がヒロインを演じた「阿虎(The Fighter's Blue)」、金城武と陳慧琳(ケリー・チャン)が再びコンビを組んで主演するラブ・ロマンス「薫衣草(Lavender)」がほぼ同時期に公開されたからだ(「薫衣草(Lavender)」が1日遅れての公開)。

公開に際し、藤原も常磐も香港入りをして、懸命にアピールをした甲斐もあって、香港の新聞の芸能欄には大きく取り上げられていた。しかし、注目されるのはやはり映画そのものよりも主演する日本女優二人の対決。映画とは別 に、二人のコメントも深読みをすれば、なかなか面白いので、付け加えておく(ちなみに二人は入れ違いで、香港を訪ねていた)。

藤原曰く「私は彼女(常磐)とは仕事を一緒にしたことないし、面 識もないので、どういう人かは分かりませんが、同じく海外でがんばっている日本人として応援したい」 に対して、「私はドラマ、彼女(藤原)はCMを中心に仕事をしていて、一緒に仕事する機会がなかっただけ」と常磐は答えたという。藤原もそれなりドラマに出演していると思うのだが... 。

ちなみに、初日興行成績だけに注目するなら、「阿虎(The Fighter's Blue)」 (99万ドル)、「薫衣草(Lavender)」(98万ドル)、「雷霆戦警(China Strike Force)」(83万ドル)の順となる。また、5日までの総興行成績を比べるなら「阿虎(The Fighter's Blue)」(1755万ドル)、「雷霆戦警(China Strike Force)」(1748万ドル)、「薫衣草(Lavender)」(1289万ドル)と依然、常磐の勝ちとなる(ちなみに、同時期に公開されたブルース・ウィリス主演の 「Unbreakable」は初日興行が55万ドルで、5日までの総興行成績は831万ドル)。

(ScH)

2000年12月分

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