「手紙」
(2001.1.22)
さる12月。部屋の大掃除ならぬ、パソコンの中の大掃除をしてみた。
映画祭がらみのメールを始め、1年でかなりの量のメールがたまる。そのままとっておいても良いのだけど、いざというとき必要なメールが探しにくいのでやはりいらなくなったものは処分して整理したほうが良い。
そういうわけで、不要なメールを処理しようと1年分のメールをみていた。
その中で見つけたのが、私にとっては珍しい「ラブレターの返事」である。
その人は何度かしか会ったことのないノンケの男だったが、ラブレターをもらった。
その中には「ゆみこさんに会えるなんて、東京に出てきたかいがあった」とか、「自分とはこれからもずーっと会って欲しい。結婚したらさびしい。」とか、はては「あなたは法律上の契約である結婚に縛られるべきではない」などというおせっかいなことまで書いてある。「こんなに美しい人がいるなんてほんとにびっくりです」と彼は書き、しかも「それはマスコミで言うところの作られた美しさではありません」という注意書きまで入っている。・・・・でもそれってかなり失礼じゃない???
私は彼の私に対するイメージが一人歩きしている点、私のことを何もわかっていないのにわかりきったように書いている点に抗議すべく返事を書いたのだった。送信日時を見ると明け方4時。しかも確か書き終えた後に読み返しもせず送ったはずだ。これはかなりヤバそう!! それでは一部を抜粋してみましょう。
自分が「安らぎを与えてくれる人」とか「きれいな人」といわれてもあんまりぴんとこないんだ。今までにも言われたりすることはあるけど、それが自分を的確に表現している言葉だとは思わないし、自分がそうなりたいと思っている言葉でもない。でも、そういわれるたびに私は自分がただのフツーな人間(「きれい」と言っていれば
喜ぶ、みたいな)と思われているみたいで、がっかりする。
私が今までに言われて一番うれしかった言葉。「エキセントリック」だと言われたこと。その人自身もアーティストでかなりエキセントリックな人だったけど、その人は
私と話して私の中に狂ったもの・境界線上にあるものを感じたそうです。
そういう言葉のほうが私はうれしいし、私が目指しているものでもある。私は自分が
誰にでも好かれるような一般受けする女になりたいとはまったく思っていない。一部
の人に「超!いい!!」と思われるような強い意志を持った人間になりたい。
なのにいまだに私は「話し掛けやすい人」なんていわれるほうが多いんだけど、私は
「話し掛けやすい人」じゃなくて「話し掛けてみたい人」になりたいの!こういう違いわかる?
私が自分に求めているのは、他人を癒す力ではなくて、人によっては嫌がられてしまうくらいの、でも人を惹きつける、強力な存在感や影響力なのです。
そうなるにはまだ程遠いけど、自分に生まれつき備わった「話し掛けやすさ」を今のところは利用して、自分を変えていくしかないね。
・・・・そして私はこう締めくくっている。
せっかく私のことを誉めてくれる手紙をもらったのに、こんな返事を書くなんて私はかなりひねくれた人に思われるかもしれないけど、そうじゃないの。
私には目指しているスタイルがあるから、それにこだわっているだけ。
何なんだ、このはき捨てるような言い方は?? 私、初めてまじまじと、このメールを読みました。これがもし他人の文章だったら、
なんなのこの女? と思っただろう。
書き方こそヤバイが、考えていること自体はやはり普段の私のまま。一般
受けすることを目指さず、一部の人に熱狂的に支持されることを望む。
この私の姿勢は映画祭の中でも現れている。私はプログラミングにかかわっているのだが(プログラミングとは映画祭で上映する作品を集めてくること)、映画祭でやる作品はゲイ映画であることももちろん必要だが、それ以前に一般
的に映画としてのレベルをクリアしているかが要求される。だが、私は一般
的な映画のレベルに照らし合わせることにはまったく興味がなく、技術的な点は未熟でもなにか人を惹きつけるエネルギーがあるか、良くも悪くも論争を巻き起こせるものか、誰もこんな映画観たことない! と思われるような映画をみせたい、そういう気持ちで探しているのである。
私のようなスタッフばかりだと、映画祭として成り立たないのだけどね!
(ユミコ)
|