<第1回>「ジュ・テ-ム・モア・ノン・プリュ」
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by ato
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おそらく皆さんもご存知でしょう、セルジュ・ゲンズブール監督、ジェーン・バーキン主演の「ジュ・テ-ム・モア・ノン・プリュ」。でもこのタイトルからだと、歌のほうが有名なのかな。この映画が作られたのは1975年。僕の生まれた年なんだけど、それを考えると、いろんな意味でなんだかすごいなぁと思ってしまう。日本では1983年にひっそりと公開されただけのようで、リアルタイムで観たかたはあまりいないかもしれませんが、邦題は「ジュテーム」だったので、そっちのほうがピンと来るでしょうか。
「ジュテーム」のビデオはフランス語を英語吹き替えしたバージョンの日本語字幕なんだけど、最近、といってもだいぶ前だけど、「ジュテーム・モア・ノン・プリュ」というフランス語ノーカット版が出ていて、僕が見たのはこっちのほう。コピーは確か、時代が映画に追いついたとかなんとか、ありがちなコピーだったけれど、この映画に関しては確かにはずれてはいない。
監督が、一体何を考えて映画を作ったのか、インタビューとか、特集記事とか、読んだことがないからさっぱりわからないけれど、これを作った時期、ゲンズブールとバーキンは蜜月だった、なんて聞くと、監督は単にサディスティックなロリコンなんだろうか、などと思わないでもない。
フランスの片田舎、ゴミ集積場の近くにあるさびれたガススタンド。そこのカフェでオヤジにこき使われながら働くやせっぽちのジョニー(バーキン)。ポーランド人のクラスキーとイタリア人のパドヴァンはトラックでゴミ回収をして生計を立てているゲイのカップル。ゴミ集積場からの帰りにふらりと立ち寄ったガススタンドのカフェで、クラスキーは少年のような少女ジョニーを気に入ってしまう。
ショートカットのバーキンは美少年にも美少女にも見える。ふくらみ切らない乳房、脂肪のついていない細い体。ジーパンに白のタンクトップ。存在自体が危うくて、痛々しくて、それでいて淫らなセクシーさをかもし出す。あのなんともいえない、切なくて色っぽい時期のバーキンを裸にして、ホモ(映画に流れる雰囲気が「ゲイ」ではなくて「ホモ」だと思うので、あえて「ホモ」)に尻を犯させるなんて、とんでもないことを考えるもんだと思うけど、監督の趣味ということだけじゃなくて、多くの人のファンタジーを刺激して、満足させたことも確かなんじゃないだろうか・・・。
しかし、人を好きになるって、一体どんなことなんだろう。どうしてこの人には欲情して、あの人には欲情しないのだろうか。愛とセックスは別物だってことはわかるけど、愛していても欲情しないなら、やっぱり恋愛にはならないだろう。それは友情とか、愛情とか、情というものにより近い感情なんだろうと思う。
抱き合って、キスをして、欲情したはずだったのに、いざ裸を前にすると役に立たない男。そんなことってあるんだろうか。前はダメなのに、後ろから、ケツの穴にだったらぶち込むことができるなんて、そんなことあるんだろうか。うーん、フェチズムの異様に発達しているこの(ゲイの)世界だったらあるのかもしれない。でも、「前か後ろかなんて関係ない。ただ体を合わせて、二人が同時に感じることが愛なんだ。めったに味わえるもんじゃない」と彼が言ったそのとき、はたしてジョニー(バーキン)は感じていたんだろうか。いや、感じていなくても、たとえ死ぬほど痛くても、「ジュテーム」と言ってしまう所が愛なんだろうな。
この映画、いわゆる、ゲイのゲイによるゲイのための映画ではない。ゲイに対する偏見や、差別的な視線は鋭く向けられているし、ストレートの人たちが抱くステレオタイプなゲイのイメージというのもある。でも、ここに出てくるゲイは、自分のことを恥じていないし、いいわけもしないし、カミングアウトもしない。ただそこに存在しているような気が、僕にはする。
1975年に、そんな風にゲイという存在を描けてしまうこの監督のセンスはやっぱりすごいと思う。だからこそ、この映画は、たんなるゲイ映画でも、ロリコンエロ映画でもなく、切ない愛の物語として成立しているのだと思う。
古着の山とか、便器の山とか、白馬に乗る伝説の巨根を持つ男とか、おばちゃんのストリップ、音のはずれたオルガンの奏でる能天気なテーマ曲など、映画全体に散りばめられたエッセンスも楽しめます。
(2002/01/01up)
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