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深夜カフェのピエール(1991)
J'EMBRASSE PAS
監督:アンドレ・テシネ
出演:マニュエル・ブラン
エマニュエル・ベアール
フィリップ・ノワレ
※ビデオ廃盤
IMDb data

http://us.imdb.com/Title?0102136

アンドレ・テシネの世界(3) 「深夜カフェのピエール」
「迷羊(ストレイシープ)としてのピエール」
written by なおすけ
あらすじ:俳優を目指し、「ピレネーの山ん中」からパリに出てきたピエールは 、中年の女性エヴリーヌの世話で見つけた職場の友人に、著名人で同性愛者のロマンを紹介され、彼に「君を知りたい」と言われるが、同性愛になじめない彼は無下に拒絶する。エヴリーヌと関係を持つも長続きせず、部屋を飛び出し、職を失い、あげくに鞄を盗まれて一文無しになったピエールは、自暴自棄気味に街娼になろうとするが、「夜の森」に来ていたロマンと出くわし、彼と共にスペインに旅立つ。しかしすぐに一人でパリに戻 り、男娼として稼ぎ始める。しばらく後、ピエールは同じ「夜の森」で、以前に会ったことのある娼婦イングリッドと再会するが…。

 冒頭でピエールは、父親代わりのような役目をしているらしい羊飼いの男性を訪ねる。「今度は大丈夫か」と尋ねられているのを見ると、「家出」は今回が初めてではないようだ。それから羊が放牧されているシーンになる。もちろん、このシーンの背景にあるのは新約聖書の「羊」だろうが、要するにピエールは「羊飼い」の手から離れ、一匹の迷羊としてパリに向かう。そうして展開されるのは、田舎から都会へ出て行く青年のいわば〈感情教育〉の物語。唐突だが、なんとなく夏目漱石の『三四郎』を思い出した。三四郎も熊本から「文明開化」の中心地であった東京に出て来た「迷羊(ストレイシープ )」として描かれている。ピエールも三四郎も、自分の過剰な自意識をコントロールする方法をまだ知らない。

 キーワードになるような、気になるセリフがいくつもあった。その全てには触れられないので、引用だけしておく。「過去の忘却こそ若さの強み」。「俳優になるとは、肉体を芸術の媒介物にすることです」。『ハムレット』のセリフである「肉体につきまとう数々の苦しみ……」「こうして認識が臆病者にし、大胆な決意が色褪せてしまう」。 ニーチェの「いかに高貴な悦びでも、売春にまさる悦びはない」。「母親と同じ45歳くらい」に見える女性と性交渉を持つのは、「14から煙草を吸っても何も言わな」いような母親へのコンプレックスの表れに違いないが、そんなふうにまだ母性を求めている「子供」である彼は、彼にとって明らかな〈他者〉である同性愛者と夕食を共にすることで、彼自身はまだ気づいていないが初めて「世間」と接している。

 彼を「世間」への入り口に導いたのが同性愛者だった故か、彼はその後も同性愛の世界に関わることになる。そして、中年の女と別れ、職もわずかな全財産も失い、「世間など無視してやる」と言った時、つまり、体を売ることで「道徳家」でなくなり、独力でお金を稼ぐことを決意した時、ようやく自覚的に「世間」と対峙し始めるのだが、彼が後に、「男娼をしている時が最も自由だと感じる」と述べたのは、実はそれほど嘘ではなかっただろう。ロマンが言う「愛で救われるというのは迷信だ。何かを壊すしかない」。なせなら、ピエールは男娼を体験することで、嫌悪するもの、非親和なものに敢えて接近し、自意識を押し込めたという意味で、ある程度の「自由」は得たろうから。しかし、壊してはいない。彼が徹底的に壊されるのが、この映画のクライマックスであるあのシーンだろう。

 先ほど触れた『三四郎』にはこんな言葉がある。「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」(中略)「日本より、頭の中のほうが広いでしょう」。漱石は「世界のほうが広いでしょう」とは書かなかった。ピエールは「壊される」ことで、その「広い頭の中」を手に入れるための一歩を踏み出している。だが、「のんびりくらすさ」と言う、本来はピエールとは正反対の存在であるはずの兄が属したのと同じ場所へと、彼は自分から向かってしまう。そこは確かに、「壊す」にはもってこいの場所ではあるが、自立からは最も遠い場所でもある。これは、他者が構築した強烈な価値体系を身をもって知り、相対化することでしか、自己を差異化することなどあり得ないということだろうか。だがその効用は、性、金、恋愛、老い、暴力が渦巻く「世間(=海?)」へ と再び漕ぎ出せねば分からないはずだ。本当の「飛翔」のチャンスはそれから訪れるのだろう 。


(2002/06/23up)
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